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「“監督”と呼ばないで」慶応高・森林貴彦監督が選手に「森林さん」と呼ばせる理由「“監督”では、フラットな人間関係が作れない」

posted2023/08/15 06:01

 
「“監督”と呼ばないで」慶応高・森林貴彦監督が選手に「森林さん」と呼ばせる理由「“監督”では、フラットな人間関係が作れない」<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

選手にフラットな目線で話しかける慶応の森林貴彦監督。なぜ選手に「監督」と呼ばせないのか、その理由とは――。

text by

森林貴彦

森林貴彦Takahiko Moribayashi

PROFILE

photograph by

Nanae Suzuki

 神奈川大会で東海大相模、横浜高校を撃破し、“戦国”神奈川から夏の甲子園出場を決めた慶応高校。甲子園の初戦では、北陸(福井)を9-4で打ち破った実力だけでなく、「髪型自由」の方針や選手が森林貴彦監督を「森林さん」と呼ぶチームの雰囲気も話題となった。
 本記事では、小学校のクラス担任も務める森林の組織論を著書『Thinking Baseball ――慶應義塾高校が目指す"野球を通じて引き出す価値"』(東洋館出版社、2020年10月発行)から抜粋して紹介する(全3回の第2回/続きは#3、前回は#1へ)

“球児”呼称に見える「上下関係」

 なぜ高校野球に関わる大人、特に指導者が高校生に対してエゴイスティックになってしまうのでしょうか。その大きな理由の一つに、“自分がされてきたことをしてしまう”という人間の特性のようなものが現れてしまっていることが挙げられると思います。自分が現役時代に指導者から体罰を受けたり、高圧的な言動をとられたりすると、それが自分の中のベースになってしまい、自覚がないままに同じ言動をとってしまう。このような負のスパイラルを生んでしまうカラクリがあるのだと考えられます。

 また、自分自身の価値観を押し付けがちな点も看過できません。これは高校生を子どもだと思っていることに起因しています。“球児”という呼び方にも顕著なように、高校生を子ども扱いし、指導者である自分は大人という意識のもとで、自然と上下関係を発生させてしまっているのです。これでは本当の意味で、良いコミュニケーションを図ることはできません。一人の人間同士として意見交換するときには、お互いの関係性がフラットであることが大前提。しかし、上から目線になってしまうと、価値観の押し付けがいつまで経ってもなくならないのです。

選手の意見にも耳を傾けるべき

 さらに、指導者が効果的だと思うことを、自分の目の届く範囲でやらせたほうが早いということも大きな理由の一つだと考えられます。早いというのは結果を早く出せるという意味で、「自分で考えろ」と言って選手に時間を与えるのは、2年半という短い期間しかない高校野球にとってはかなり遠回りな作業です。促成栽培とまでは言いませんが、結果を早く出すことだけを考えれば、自分が“されてきた”指導をベースにやらせたいことをすべてやらせるという安易な方法を選択しがちなのです。

【次ページ】 時間がなくても待つ姿勢を

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