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「“監督”と呼ばないで」慶応高・森林貴彦監督が選手に「森林さん」と呼ばせる理由「“監督”では、フラットな人間関係が作れない」 

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森林貴彦

森林貴彦Takahiko Moribayashi

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photograph byNanae Suzuki

posted2023/08/15 06:01

「“監督”と呼ばないで」慶応高・森林貴彦監督が選手に「森林さん」と呼ばせる理由「“監督”では、フラットな人間関係が作れない」<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

選手にフラットな目線で話しかける慶応の森林貴彦監督。なぜ選手に「監督」と呼ばせないのか、その理由とは――。

 しかし、チームというのは本来、選手と一緒に作っていくものだと私は考えます。選手の意見にも耳を傾けるべきで、ときには議論を戦わせることも必要でしょう。あるいは選手に委ね、選手たちだけで重要事項を決定させるような、“精神的なゆとり”も指導者は持っていなければなりません。

時間がなくても待つ姿勢を

 大切なのは、選手あるいはチームがいかに成長していくか。成長とは、目先の結果である勝ち負けだけではなく、前述したように高校野球を通していろいろな経験をすることであり、その価値自体を高めていくことです。このような基準、視点を持っていれば、上から押し付けるような指導には決してならないと思います。

 高校野球には“時間がない”。それが事実であったとしても、選手を信じて待つ姿勢こそが重要なのです。

サインを自分たちで考えてみなさい

 私の現在の監督業の原点とも言える出来事が1990年の8月、高校2年生のときに起こりました。当時、在籍していた慶應義塾高校野球部の夏の大会が終わり、前監督である上田誠先生が監督に着任。新チームが始動した当初の練習で、上田監督が次のような言葉を我々、選手たちに告げました。

「セカンドへのけん制の新しいサインを、自分たちで考えてみなさい」

 この言葉は私にとって非常に印象的でした。サインは指導者が考えるもので、選手はそれに従うだけ。そういう価値観しか持っていなかった私は「そんなことをしていいんだ」と非常に驚きました。まさにパラダイムシフトとも言える瞬間でした。

 その日の全体練習後の夕方、セカンドへのけん制に関わる投手、捕手、内野手が集まり、必死に議論を重ね、新しいサインを考えていきました。気付けば、あたりは真っ暗になっており、皆、それほどまでにのめり込んでいたのです。そして数日後の練習試合で実践すると、見事に決まってアウトを取ることができました。

自分たちで決めたほうが楽しい

 この経験は本当にたくさんのことを教えてくれたと思います。自分たちでサインを考えることの楽しさとやりがい、そして自分たちで決める以上、実行できなければいけないという責任感。大げさではなく、高校野球を現役でプレーしていた当時における一番の思い出で、とても大きな転機となりました。

【次ページ】 “さん付け”で、距離感が一気に縮まった

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