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「所持金はわずか5円だった」18歳落合博満、“失敗続き”の日々「練習はサボってばかり」高校野球のシゴキを嫌った男が25歳でプロになるまで 

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中溝康隆

中溝康隆Yasutaka Nakamizo

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posted2023/08/13 11:05

「所持金はわずか5円だった」18歳落合博満、“失敗続き”の日々「練習はサボってばかり」高校野球のシゴキを嫌った男が25歳でプロになるまで<Number Web> photograph by KYODO

1978年ドラフト3位指名、25歳でロッテに入団した落合博満。18歳で東洋大を中退したあと、落合は何をしていたのか?

「練習はサボってばかり。たまに来ると思えば、他の部員はすでにグラウンドに集合しているのに、部室でひとり雑誌を見ているんです。覗いてみると、大リーガーのバッティング写真なんですね。「スゴイぞ、お前も見ろ」と言われても、ハテ? しばらくして突然部室を出て行くと、フリーバッティングを始めるんです。イメージトレーニングだったんですね。今にして思うと、あの頃から世界が違ってたんだな、と感じます」(週刊宝石92年5月7・14日号)

 圧倒的な実力を持ちながら、先輩風を吹かすわけでもなく、イジメやシゴキを嫌い、ときに後輩にラーメンを奢ってやったこともあった。集団で動く縦社会の厳しい昭和の体育会系において、我が道を行く落合の存在は異端だった。一方でその一匹狼のイメージとは裏腹に、のちに『週刊ベースボール』のカラーグラビア「私とふるさと秋田編」で、落合の母は「とにかく甘えんぼで」と、女4人男3人の7人兄弟の末っ子・博満の少年時代を回想している。

「一番上のお姉さんとは14の年齢差。秋田工時代は二番目のお姉さんのアパートに同居。そして東芝府中に就職、東京に出てきてからは四番目のお姉さんが“お目付け役”」と紹介されるオレ流の意外な素顔。なお、野球の師は「新聞を丸めて、それを上からほうって打ったり、そういうのよくありました。中学校の頃から」という長兄だった。

「ポケットに五円しかなかった」

 高校卒業を控えた落合は、東洋大野球部のセレクションでスタンドインを連発。あっさり合格してみせるも、上京してすぐ挫折する。左大腿部の肉離れや足首の捻挫に加え、自分より野球の下手な先輩が偉そうにいばり散らす、大学野球の雰囲気に嫌気がさして早々に退部。高校を卒業直前の2月に合宿所に入るも、4月の入学式も待たずに荷物を置いたまま飛び出したという。野球部とともに、しばらく籍だけはあった大学も辞めてしまい、行くあてもなかった。

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