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「本当に準々決勝で大阪桐蔭が…」下関国際“あの番狂わせ”直前のミーティング…なぜ監督&選手はあれほど冷静だったのか?「絶対に倒す、と」
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byHideki Sugiyama
posted2023/08/20 11:04
昨夏の甲子園、下関国際を準優勝に導いた坂原秀尚監督
「この子、キャプテンやってくれないかなと思って見てましたね。まだ中学2年生だったんですけど。彼を最初に見たのが2018年の12月でした。そこから、うちで一緒に準々決勝の壁を乗り越えようと言って選手を集め始めた。なので、4年近い年月をかけた大目標でもあったんです」
山下の代は全部で31名集まった。坂原が惚れ込んだ山下は1年のときからキャプテンを任される。その山下を含む14名までもが1年秋を迎えたときにはベンチ入りを果たし、しかも、中国大会で準優勝した。まさに手塩にかけて育てた代だった。
「本当に準々決勝で大阪桐蔭が来た」
2022年夏、下関国際は、控えメンバーも含めてその3年生たちだけ、つまりオール3年生で挑んでいた。加えて、試合ごとに両チームから2名ずつボールボーイを出し合わなければならないのだが、それも3年生が務めた。
坂原が言う。
「この年は、もう3年生しか考えていなかったんで。それくらい意識の高い学年だった」
2022年夏の大阪桐蔭は、確かに強かった。また、選抜大会に続いて、メディアが喜びそうな勝ち上がり方をしていた。
激戦区・大阪大会は5人の投手を併用し、全7試合でわずか1失点にとどめた。甲子園でも2回戦の聖望学園戦で19-0という圧勝劇を披露。このとき、対戦相手の監督が語った「すべてにおいてレベルが2つ3つ上だった」というコメントが大阪桐蔭の絶対化に拍車をかけた。
下関国際の準々決勝の相手が決まったのは8月16日、3回戦最後の試合で大阪桐蔭が二松学舎大付を4-0で下した瞬間だった。事前に引いたクジで、下関国際は、この試合の勝者とぶつかることになっていたのだ。
坂原がそのときのことを振り返る。