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「スラム出身のテベスは…」W杯優勝アルゼンチン在住30年“若き日本代表に接した”日本人の忖度なし印象「それがいいとは言いませんが」
posted2023/06/19 17:00
text by
浅田真樹Masaki Asada
photograph by
Kiichi Matsumoto(JMPA)/Getty Images
大会開幕までわずか2カ月ほどというタイミングで、FIFA(国際サッカー連盟)が突如インドネシアから開催権をはく奪した今年のU-20ワールドカップ。結果として、今年の大会は22年ぶりにアルゼンチンで開催されたわけだが、取材で現地を訪れてみて、少しばかり寂しい気持ちになった。
前回アルゼンチンで開かれた2001年大会に続き、またしても日本がグループステージ敗退に終わったこともその理由のひとつではあるのだが、現地で取材する日本メディアの数が、22年前とは比べものにならないほど激減していたからだ。
すでに日本でのサッカー人気の低迷がささやかれて久しいが、図らずも地球の反対側でそれが裏づけられた格好である。
「通訳兼お世話係みたいな感じで」同行
そんななか、うれしいことに、22年前のU-20日本代表を知る数少ない人物に出会うことができた。
「西村(昭宏)監督のときですよね。前田(遼一)くん、佐藤(寿人)くん、森﨑(和幸、浩司)くん、田原(豊)くん……」
22年前を思い出しながら選手の名を次々に口にしたのは、アルゼンチン在住30年超の田中徹也さん。2001年の大会期間中、「言葉の問題があったからだと思いますが、通訳兼お世話係みたいな感じで」U-20日本代表に同行していたのが、田中さんだったのだ。
今大会での田中さんは、日本戦を中継するテレビ局の現地コーディネーターを務めていたのだが、立場は変わっても、当時を知る貴重な“目撃証人”であることに変わりはない。
というより、メディア関係者はもちろん、日本サッカー協会のスタッフを含めてもなお、今回のU-20日本代表に関わったすべての人たちのなかで、22年前の大会を最もよく知る人物であることは間違いないだろう。
田中さんが懐かしそうに振り返る。
「僕もチームスタッフと同じジャージを着て、移動のバスにも一緒に乗っていましたし、ミーティングにも出ていました。あのときは選手たちが一生懸命耳を傾けるなか、城福(浩)さんが撮ってきたビデオで(対戦相手を)分析していましたね」
22年前のチームで、異質だった佐藤寿人
2001年大会当時のU-20日本代表の印象を尋ねると、「あまり騒ぐようなこともなく、とてもおとなしかった」と田中さん。しかし、そんなチームにあって、田中さんはひとりの選手を異質な存在として記憶している。
若き日の佐藤寿人である。