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「スラム出身のテベスは…」W杯優勝アルゼンチン在住30年“若き日本代表に接した”日本人の忖度なし印象「それがいいとは言いませんが」
text by
浅田真樹Masaki Asada
photograph byKiichi Matsumoto(JMPA)/Getty Images
posted2023/06/19 17:00
アルゼンチンで再び試練を味わったU-20日本代表。カタールW杯優勝国アルゼンチン在住日本人の視線から見えるものとは
「1990年代から2000年代にかけて、当時はサッカー絡みの仕事が結構あったので楽しかったですね。1999年のコパ・アメリカでも日本代表のサポートをさせてもらいましたし、2002年ワールドカップ招致の票集めとか、あのころはいろいろとあったんです」
オルテガらがいたリーベルが…
なかでも、苦い記憶とともに田中さんの印象に強く残っているのは、1996年トヨタカップである。
田中さんが「僕のなかではあのころが最強でした」と懐かしむ南米王者のリーベルプレートは、しかし、アリエル・オルテガ、エンツォ・フランチェスコリら、錚々たるメンバーを揃えながら、ヨーロッパ王者のユベントスに0-1で敗れた。
「僕もクラブの会長や選手の家族と一緒に日本に来ていて、みんな負けたから早く帰りたいのに、なかなか飛行機が来なくてね。ブラジルの航空会社だったから、『これは嫌がらせに違いない』って、みんなイライラして困りました(苦笑)」
その後、田中さんは北山氏の会社を離れ、現在は自らふたつの会社を経営。そのひとつで日本のテレビの海外ロケをコーディネートしている。「最近はサッカーよりも、バラエティー番組が多いですね」と話す田中さんは、今後も(一時的な里帰りは別にして)日本に帰るつもりはないという。
だとすれば、これから先も田中さんは日本と南米との橋渡し役として、貴重な存在であり続けるに違いない。またどこかの取材現場で、きっと田中さんの姿を見かけることがあるのだろう。
こっちにも来てくれればいいのにな
そういえば、最近はドイツでプレーする日本人選手が多いと聞いた田中さんが、こんなことを話していた。
「個人的にはラテン系の国でも頑張ってもらいたい。こっちにも来てくれればいいのにな」
なるほど、日本人選手に足りないものを知るには、アルゼンチンこそ最高の場所かもしれない。サポーターの苛烈なプレッシャーを背に日々プレーしていれば、嫌でも選手はたくましく育つはずである。
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