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メジャーリーグPRESSBACK NUMBER
日本のホームランバッターはメジャーで通用するのか…私が見た松井秀喜“50→16本”の真実「納得はしてないですけど…」「自分を変えていく」
text by
水次祥子Shoko Mizutsugi
photograph byGetty Images
posted2023/06/02 11:02
20年前、アメリカ屈指の名門球団、ニューヨーク・ヤンキースに松井秀喜が入団した。ゴジラが挑んだメジャー1年目を振り返る
1年目の不振…なぜ?
日本屈指のスラッガーがメジャーで苦しんだもの――それは当時の日本では見ない“微妙に動く球”だった。ア・リーグにはペドロ・マルティネス(レッドソックス)、ティム・ハドソン(アスレチックス)、CC・サバシア(インディアンス)といった、とんでもない球を投げる最高クラスの投手が何人もいた。松井は彼らに、文字通りの衝撃を受けていた。
「(ペドロは)ストライクゾーンをいっぱいに使うところが長所。直球と同じスピードでカットボールも投げてくるので、その辺の見極めが難しい。何でも打つという感じではなく、強くスイングできるボールを選んでいかないと、厳しいコースは無理」
「(サバシアは)うまく攻められている。球も速いし、迫力を感じた」
「(ハドソンは)速いシンカー。結構鋭く落ちるんで、まったくついていけなかった。大変素晴らしい球。大変難しいボールを投げる」
批判を受けた「内野ゴロの多さ」についてはこう語っていた。
「外に落ちる球(シンカー)。前からわかっていることなんですが、なかなかうまくいかない。ああいうボールは引っ張ると内野ゴロになるだけだから、もう少し考えていかなきゃいけない」
当時は今のようなハイテク化された計測機器はなく、データ分析もそれほど進んでいなかった。打者としてアジャストするには、球の軌道やスピードを体感しながら、自分の中の感覚で微調整を繰り返すという地道な作業を続けていくことになる。感覚だけが頼りとなると時間もかかる。
「こういう打ち方をすればこう飛ぶ。そうやって体で覚えていけば……」
辛抱強くコツコツと。それが1年目の松井の姿だった。
イメージが形に…9月の“ある試合”
それでも、シーズンの早い段階から自分のメジャーでの戦い方について、方向性はつかんでいたようだった。5月下旬のブルージェイズ戦、3打席目でセンター前に安打を放った試合後、こんな手応えを口にしたことがあった。