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「だって乗っているのが僕ですから」テイエムオペラオー“覇王”前夜の1ハロン…和田竜二が語る伝説のダービー秘話「あの感触は今も残っています」
posted2023/05/26 17:00
text by
軍土門隼夫Hayao Gundomon
photograph by
Tomohiko Hayashi
発売中のNumber1073号掲載の[若さゆえの高速決着]テイエムオペラオー「覇王前夜の1ハロン」より内容を一部抜粋してお届けします。【記事全文は「NumberPREMIER」にてお読みいただけます】
ダービーの頃、まだテイエムオペラオーは“覇王”ではなかった。
皐月賞馬だった。破竹の4連勝中でもあった。でもこの翌年に見せた、どんな舞台でも、どんな窮地に陥ろうとも最後は相手をねじ伏せて勝利してしまう神話的な強さは、まだ栗毛の馬体の奥に眠っていた。
年間無敗で王座に君臨する前夜の1999年ダービー、テイエムオペラオーは3着に敗れた。しかしチャレンジャーの気概に溢れた青く瑞々しいその走りは、今なお見る者の魂を震わせる。
和田竜二はこのとき4年目の21歳。皐月賞はGI初制覇だったが、その前週の桜花賞では同期の福永祐一がひと足先に初GI勝ちを果たし、大きな話題となっていた。
「次は俺の番や、と期するものはありました。流れが来てる、と思いましたね」
皐月賞は5番人気での勝利だった。弥生賞の上位2頭、アドマイヤベガが1番人気で、ナリタトップロードが2番人気。毎日杯勝ちのテイエムオペラオーは伏兵扱いだったが、降りしきる雨の中、大外から力強く追い込んで見事に差し切ってみせた。
和田の若さは、メディアにとって格好の取材対象
皐月賞馬だが、ダービーでは1番人気にはならないだろうと和田は思っていた。
「だって乗っているのが僕ですから」
じつはこの時点で、和田はまだ東京競馬場で勝ったことがなかった。2年目には早くもテイエムトップダンでダービー騎乗を果たす(13着)などしていたが、'96年のデビュー以来、29回乗って勝利なし。和田の東京初勝利は、翌年のテイエムオペラオーの天皇賞・秋まで待たなければならない。
そんな和田の若さは、ダービー前のメディアにとって格好の取材対象だった。そして記事の多くは、もう一人の若手騎手と和田を、セットで並べる形で作られた。
ナリタトップロードの渡辺薫彦だ。