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あの森がファイターズの新球場に? ”ミラクル開成”奇跡の男が明かした衝撃の極秘計画と翌朝メール「昨日の話ですが…胸にとどめておいてください」
 

text by

鈴木忠平

鈴木忠平Tadahira Suzuki

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photograph byKiichi Matsumoto

posted2023/05/11 06:04

あの森がファイターズの新球場に? ”ミラクル開成”奇跡の男が明かした衝撃の極秘計画と翌朝メール「昨日の話ですが…胸にとどめておいてください」<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto

2023年から日本ハムファイターズの本拠地となった「エスコンフィールドHOKKAIDO」。人口6万人の北広島市になぜ新スタジアムが建設されたのか

「開成野球部の川村だよ」

 その一言ですべてが繫がった。

「あ、あの……ミラクル開成の川村さんですか?」

ミラクル開成の伝説

 世代こそ離れていたが、杉原にとって川村は札幌開成高校野球部の先輩であり、ずっと憧れてきた存在だった。

 札幌市東区生まれの杉原は1988年に札幌開成高校が初めての甲子園出場を果たした夏のことを覚えていた。当時はまだ6歳だったが、幼いながらに大人たちがざわめいているのが分かった。家族だけでなく隣近所も、町全体が浮き立っていた。人々が口にする「かいせい」という誇らしげな響きが耳に残った。 

 少年野球を始めると、仲間たちにこう言った。

「俺は開成に行って野球をやる」

 杉原はその言葉通り、札幌開成高校に合格して野球部員となった。それからは88年の全道大会決勝戦のビデオを繰り返し見た。無名の選手たちばかりの公立校が精鋭を集めた私立の強豪を破っていく。円山球場のスタンドが揺れていた。札幌だけでなく、北海道中の人たちが熱狂していることが伝わってきた。繰り返し見るうちに、ミラクル開成には2人の川村がいたことを知った。そうやって1988年夏の残像を追いかけた。

「あの決勝戦……、何度も見ました」

「いずれ一緒に仕事をやろう」

 入庁の日に遭遇した憧れの人物を前に杉原は言った。川村は「そうか」と照れたように笑うと新人職員の肩を叩いた。

「杉原、いずれ一緒に仕事をやろうーー」 

 やれるといいな、ではなく、やろうと断言してくれたことが胸に残った。

 ただ、入庁後も川村との距離は遠かった。杉原は教育委員会の専門職である社会教育主事としての採用だった。当時の教育委員会は建物も市役所とは分かれており、日常的に川村と顔を合わせることはなかった。最初に任されたのは文化担当で美術展や音楽講座を企画するのが主な仕事だった。毎日、北広島駅前の芸術文化ホールに足を運んだ。スポーツ教育に携わるために大学を出て、この仕事を選んだ杉原はいきなり右も左も分からない世界に放り込まれた。自分は何のために入庁したのかと悩んだこともあった。そんな期間を乗り切れたのも、あの日の川村の言葉があったからだった。

【次ページ】 あの森がプロ野球のスタジアムになるかもしれない

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