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「え、ファイターズが北広島にくる」人口6万の市がなぜ新スタジアムの候補地に? 当て馬にされているのでは…「どこまで本気かわかりませんよ」
posted2023/05/11 06:03
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph by
Kiichi Matsumoto
ベストセラー『嫌われた監督』の作家・鈴木忠平氏が描いた『アンビシャス 北海道にボールパークを創った男たち』(文藝春秋)を一部抜粋して紹介します。【全2回の前編/後編へ】
◆◆◆
午後10時をまわった札幌駅は帰宅客で賑っていた。細く長いホームには普通列車・千歳行きが停車していた。蛍光灯に照らされた車体は扉を開いたまま、郊外へと帰る人々を待っていた。
2016年1月半ばのある夜、北広島市役所の企画財政部企画課に勤務する杉原史惟は同僚とともに電車に乗り込んだ。この夜は課の新年会だった。札幌駅前の居酒屋で飲んで、カラオケ店へとハシゴした後、連れ立って北広島に戻るところだった。
普通列車の7人掛けロングシートにはまだたっぷりと空席があった。杉原は、次長の川村裕樹が座るのを待ってから、その隣に腰を下ろした。アルコールがまわっているせいか、身体の芯には火照りがあり、開いた扉から車内に入り込んでくる冷気が心地よかった。隣を見ると、川村の頰も少し赤らんでいた。上司と部下として年齢は干支ひと回りほども離れていたが、川村に近寄りがたい空気はなかった。北国の晴天のようにカラリとした名調子は酒が入るとさらに滑らかになった。この夜も居酒屋で冗談を飛ばし、カラオケでは十八番の「あの鐘を鳴らすのはあなた」を歌い上げ、課員たちを沸かせていた。入庁12年目、34歳の杉原があえて上司の隣に腰掛けたのはそんな気安さのせいもあったが、じつはもうひとつ理由があった。
北海道日本ハムファイターズとの会談
杉原はこの数カ月ずっと、川村の様子が気になっていた。急に単独行動が増えたのだ。
何か秘密を抱えているような気配があった。
異変が起きたのは前年の秋だった。北広島市はその頃、積年の課題だった総合運動公園整備計画に向けて動き出していた。政府からの助成金を受けた官民連携支援事業の担当者が川村であり、同じ課の杉原もプロジェクトチームに加わっていた。計画はまず開発をともにする民間パートナーを探すことから始まった。その過程で訪ねたのが、候補のひとつに挙がっていた北海道日本ハムファイターズだった。
初めてのプロ球団との会談。川村は北広島市として望んでいることを伝えた。たとえ年間数試合でも二軍の公式戦を誘致できないか。そのための球場設備としてはどんなものが必要なのか。その問いに球団側は事業部門のトップが対応した。前沢賢という人物だった。 前沢は質問したことに過不足なく答えを返してきた。イエスもノーもなく、その日はヒアリングのみで終わった。何かが進んだという実感はなかった。ところが、その直後から川村の身辺が急に慌ただしくなったのだ。