- #1
- #2
オリンピックPRESSBACK NUMBER
26歳で引退、“ハードル日本王者”はなぜ絶頂期に歯科医師の道を選んだのか「次があると思っていたら、あんなに記録は伸びていない」
text by
荘司結有Yu Shoji
photograph byMATSUO.K/AFLO
posted2023/04/08 17:00
東京五輪では110mハードル準決勝にも駒を進めた稀代のハードラー・金井大旺。その直後、なぜ潔く引退の決断ができたのか
歯科医師の父の背中を見て育ったことで、潜在的に「医療従事者」への憧れが根付いていたのだろう。全国から優秀な生徒が集まる同校では、毎月テストがあるうえ、その点数によっては部活動が停止になることもある。トップレベルで競技を続けるためには、必然的に勉強にも力を注がなければならなかった。
「毎年6月に北海道大会が5日間くらいあるんですけれど、函館から通えないので近くに宿泊するんです。なので1週間くらい学校を休むのに、その次の日から定期テストが始まるんですよ。休んでいる間にも授業は進むじゃないですか。それもテストに出るので、友達にノートの写真を送ってもらっていましたね。大会中もずっとテントの中で勉強していて。高校生活で一番キツかった思い出ですね(笑)」
トライアンドエラーの繰り返しが楽しかった
金井はその“スパルタ教育”をこなしながら、1年時にインターハイに出場し、翌年には2年生ながら決勝進出も果たした。しかも部に専門の指導者はおらず、独学でハードリングの技術を身につけていったのだという。
第三者には逆境にも映る環境だが、のちのオリンピアンの土壌を醸成する期間でもあった。練習やレースの動きを撮影してもらい、細かく動作を分析していく。持ち前の探究心が、指導者不在の環境でも成長を後押ししていた。
「陸上の中でもハードルってかなり技術要素が高い種目だといわれていて、そこにすごく魅力を感じたというか。もちろん報われないこともあるんですけれど、細かい技術の部分を直していくと、記録が伸びることも多くて。トライアンドエラーを繰り返していく感じが楽しかったんです。
だからこそ記録が落ちたときは絶対に原因があるわけなので。走るときは必ずビデオを撮ってもらって、常にその日の課題をクリアにしていました。映像をしっかりチェックして、記録が下がる理由を追求するというのを習慣づけられたのはよかったですね」
高校で陸上に区切りをつけ、受験モードの予定だった
26歳で競技を引退するまで、この動画撮影による“ハードル研究”が自身の軸となっている。勉強が「優位」のはずだった高校生活で、皮肉にも陸上に対する思いが熱を帯びていった。