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オリンピックPRESSBACK NUMBER
26歳で引退、“ハードル日本王者”はなぜ絶頂期に歯科医師の道を選んだのか「次があると思っていたら、あんなに記録は伸びていない」
text by
荘司結有Yu Shoji
photograph byMATSUO.K/AFLO
posted2023/04/08 17:00
東京五輪では110mハードル準決勝にも駒を進めた稀代のハードラー・金井大旺。その直後、なぜ潔く引退の決断ができたのか
しかし、一方で冷静に将来設計を立てていた。
「父親の背中を見て育ってきたこともありますし、何より直接感謝される仕事をしたいという気持ちがあって、その中で歯科医師になろうと決意しました。高校最後のインターハイで有終の美を飾って、陸上に区切りをつけてから受験勉強に切り替えて、歯科大学を目指そうと思ったんです」
本来なら高校3年のインターハイで優勝し、心置きなくトラックを去るはずだった。ところが、そのシーズンは元高校記録保持者の古谷拓夢(相洋高→早大)ら2年生が台頭。迎えた本番では、2年生が上位を占め、金井は5位に終わったのだ。
僕が勝つというイメージが描けなかった
高校最後の夏に懸けていた金井にとっては、不本意すぎる“ラストレース”だった。
「2年生2人に負けたのがもう絶望的でしたね。でも正直なところ、大会前に古谷君が13秒台を出した時点で『これは厳しいかな』とは思っていて。いくら頭では前向きに捉えようとしても、13秒台の選手に14秒3の僕が勝つというイメージが描けなかった。その頃から『もしかしたら大学でも続けるかも』と何となく思っていた気がします」
もしこの夏に金井が優勝していれば、のちの五輪代表は生まれていなかった。金井の人生のすごろくは“不完全燃焼の夏”が分岐点となり、歯科医師への道を逸れ、五輪へと向かう道を歩むこととなる。
陸上続行も「本当にこれでよかったのか」
トップレベルの環境を求めて法政大学へと進学。だが、多くの名選手を輩出した「ハードル王国」とも称される環境に身を置く傍ら、人知れず将来への不安も抱いていたという。