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26歳で引退、“ハードル日本王者”はなぜ絶頂期に歯科医師の道を選んだのか「次があると思っていたら、あんなに記録は伸びていない」

posted2023/04/08 17:00

 
26歳で引退、“ハードル日本王者”はなぜ絶頂期に歯科医師の道を選んだのか「次があると思っていたら、あんなに記録は伸びていない」<Number Web> photograph by MATSUO.K/AFLO

東京五輪では110mハードル準決勝にも駒を進めた稀代のハードラー・金井大旺。その直後、なぜ潔く引退の決断ができたのか

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荘司結有

荘司結有Yu Shoji

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MATSUO.K/AFLO

 男子110mハードルの前日本記録保持者で、東京五輪に出場した金井大旺(27)。1964年の東京大会以来、日本勢57年ぶりの準決勝進出を果たしたが、かねてから「東京五輪を区切りに歯科医師を目指す」と宣言していた通り、直後にスパイクを脱いだ。
 父と同じ歯科医師の道に進むことを選び、昨春から日本歯科大学生命歯学部の学生となった。稀代の名ハードラーはなぜ絶頂期にありながら、潔くトラックを去るとの“決断”をくだせたのか――。(全2回の1回目/#2も)

「父が3代目になりますね。一番初めに開業したのは曽祖父だそうです。日本に歯科大学ができて4年目に入学しているので、実質『歯科医師』という概念ができてすぐくらいだと。日本でもかなり歴史の古い歯科医院だと思います。最初は“このあたり”で開業して、函館に移ったそうです」

進学した高校は陸上強豪校ではなくラ・サール

 金井は北海道函館市で歯科医院を営む家庭に生まれた。実家の「金井歯科医院」は元々、“このあたり”こと、JR御茶ノ水駅周辺にあったという。

 陸上を始めたのは小学3年生の頃だった。地元の「千代台陸上スクール」に入り、小学6年時には全国小学(全国小学生陸上競技交流大会)80mハードルで2位に輝く。地元の函館本通中に進学すると、最終学年で110mハードルの全道中学記録をマーク。全中にも出場し、ジュニア五輪では8位に入賞するなど好成績を収めていった。

 だが、進学先に選んだのは陸上強豪校ではなく、北海道屈指の進学校「函館ラ・サール学園」だった。

大会中もずっとテントの中で勉強

「今となっては違うんですけれど、当時は医療系に進むのが一番上というイメージがあったんです。函館ラ・サールは医療系への進学率がかなり高いと聞いていて。その時点では歯科医師になろうとはあまり考えていなかったんですけれど、とりあえず偏差値の高い学校に行こうと思ったんです」

【次ページ】 トライアンドエラーの繰り返しが楽しかった

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