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中学時代に新聞配達→給料は野球用具に…22年前の甲子園“準優勝ピッチャー” 芳賀崇が明かす仙台育英時代「あの決勝戦の後悔」
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byKYODO/Genki Taguchi
posted2023/04/05 11:00
2001年センバツの準優勝投手、芳賀崇がいま明かす「1点差で逃した東北勢初V」
監督からの言葉はこうだった。
「ピッチャーっていうのはね、調子がいいと思ってマウンドに上がっても、ボコボコに打たれたら『今日は調子がよくありませんでした』って言うものなんだよ。その逆もある。調子の良し悪しじゃなくて、その日の自分にとってベストなボールを駆使して抑えられるのが、いいピッチャーなんだからね」
要するに一喜一憂しないこと。これが、芳賀の大きな支えとなった。
実際に臨んだセンバツでも「調子がよかったわけではない」と、芳賀は言った。
決勝にたどり着くまで
初陣の海星戦で延長10回を8安打、3失点。藤代との3回戦も9奪三振、1失点ながらも8四死球と、どこか安定感に欠くピッチング内容と評することもできる。
その芳賀が最低限のパフォーマンスを実現できた背景にあるのが佐々木からの助言であり、センバツでの「ベスト」こそ、遊び感覚で投げられるようになったパームボールだった。
「たまたま軸になったんです。真っ直ぐは浮くし、カーブでストライクは取れないしって状態だったんで、『追い込んだらパームでバッターの目先を変えれば、真っ直ぐも速く見せられる』みたいにキャッチャーと相談して試したらハマったんですね。それまで主軸にしていなかったボールなんですけど、ことごとくバッターが振ってくれたりしたんです」
投球術の根が生える。地に足がつき、試合ごとにピッチングの色彩が変わる。
準々決勝の市川戦で8安打されながらも10奪三振、1失点とまとめた芳賀は、準決勝の宜野座戦でピッチングの真価を見せた。
「今日は、ここなんだ」
1回の初球。外角へボール半個分をベースに通すと、主審がストライクをコールする。毎試合、1回の7球の投球練習からコースに投げ分け、「これだけボールの出し入れができますよ」とアピールしてきた芳賀にとって、そのストライクは審判を味方につけたも同然だった。宜野座戦はもはや、外角のストレートとカーブの組み合わせだけで十分。14奪三振、1失点がなによりの証拠であった。
あの春、決勝の記憶
01年時点でも、東北勢の甲子園優勝が「白河の関越え」と呼ばれるようになって久しかった。大優勝旗が大昔の関所を越えるまであと1勝。当時、学生コーチだった須江は「決勝進出を決めてから、プレッシャーが一気に押し寄せてきた」とチームの雰囲気の変化を感じ取っていたが、精神の重荷を一身に背負いかねないエースの芳賀はしかし、そういった感覚とは無縁にあった。