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野球クロスロードBACK NUMBER
「ダルビッシュさんが一番スゴかった」平田良介が語る大阪桐蔭時代“3人の強敵”「マエケンに勝てたのはまぐれ」「マー君の球は直角に…」
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byJIJI PRESS
posted2023/03/27 11:02
2005年の甲子園で、清原和博以来の1試合3本塁打を記録した平田良介。高校通算70本のスラッガーが、大阪桐蔭時代に対戦した“強敵”について語った
平田の意識はつまり、この頃からすでに“プロ”だったとも解釈できる。
欲を駆り立てたのは、目の前にぶら下がった小遣いというニンジンだけではない。強者の存在。これも結果的に、高校時代の“スラッガー”平田良介を作り上げたことになる。
平田が入学した2003年の大阪桐蔭は、監督の西谷浩一の慧眼に留まった逸材たちが多く入学するようになっていた。そんな環境下で、練習から彼らはしのぎを削り合う。
1年夏から背番号を与えられた平田ですら、メンバー外であっても140キロ超えがずらりと並ぶ1学年上のピッチャーを打つのは容易ではなかった。ましてや同学年には、スピードボールが持ち味の左腕、辻内崇伸もいる。「そんな人らと毎日、シート打撃とかで対戦してるんで、大会では多少は気楽に打席に立てる部分はあったかもしれませんね」と、冗談を言えるのも納得できる。
「高校で見たなかではダルビッシュさんが一番です」
その平田が「強者」として名を挙げたのが、東北のダルビッシュ有、PL学園の前田健太、駒大苫小牧の田中将大の3人である。
04年のセンバツ。2年生の4番バッターとして初めて甲子園の土を踏み、初戦の二松学舎大付戦でバックスクリーンに叩き込み派手なデビューを飾った平田が、息を飲み込んだ。
「スライダーの曲がり幅が、バッターの手元でグイーンって。高校で見たなかではダルビッシュさんが一番すごかったです。『このスライダーは打てへんぞ』って」
前年夏に2年生エースとして甲子園準優勝。このセンバツでも初戦でノーヒットノーランを達成したダルビッシュに、平田は4打数ノーヒットと封じ込められた。
ただ、平田にとって1学年上のダルビッシュとは「越えなければならない壁」というより、力の差を痛感させられたような、ワンランク上の存在だった。
越えなければならない壁はむしろ、全国ではなく地元の大阪にあった。
「普通に強かったんで嫌だったですね」
平田をそう嘆かせたのがPL学園である。