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千代の富士の“恐怖”「なぜ腕立て伏せ1日500回をノルマにしたか?」左肩脱臼、右腕大ケガ…伝説の横綱が明かした“苦手な力士11人の名前”
posted2023/02/28 17:02
text by
近藤正高Masataka Kondo
photograph by
Getty Images
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“大きな爆弾”
九重親方から将来を期待された千代の富士だが、大きな爆弾も抱えていた。それは肩だ。幕下時代の1973年春場所に左肩を脱臼して以来、ひどいときは寝返りを打っただけでも肩が抜けるほど癖になってしまった。医師によれば、普通より肩の骨のかみ合う部分が浅いのに、それを腕力にまかせて大きい相手を振り回すので、肩の臼が耐え切れずに抜けてしまうのだという。
それでも抜けるのは左肩だけだったのが、1979年の春場所の取組で、それまで何もなかった右肩を脱臼してしまう。その瞬間、もう力士生命は終わりだとさすがに観念したという。医師からは、手術すれば完治はするが、それではどうしても腕の動きが悪くなると言われた。
そこで始めたのが、筋力トレーニングだった。もともと筋肉質の体だったので、肩のまわりに丈夫な筋肉の鎧をつけるのが一番いいだろうとの判断である。鉄アレイやバーベルなど器具を使うトレーニングを採り入れるとともに、腕立て伏せも1日500回のノルマを課して継続し、これが一番効果があったらしい。力士らしからぬ筋肉隆々の肉体は、もともと肩の脱臼を克服すべく始めた鍛錬からつくりあげられたものだったのだ。
右腕の大ケガ…横綱時代も11回休場
肩以外のケガにもたびたび泣かされた。1975年の秋場所で新入幕を果たすも、すぐに十両に陥落、またやり直せばいいやという気持ちで迎えた九州場所で右腕の筋肉を断裂する大ケガを負う。おかげで一時やる気を失い、自暴自棄になり、このあと1978年初場所で幕内に復帰するまで2年もかかった(その間、九重親方が1977年に死去、元横綱・北の富士が九重部屋を引き継いだ)。先述の右肩の脱臼で再び十両に陥落する。