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「これで千代の富士も終わりか…」伝説の横綱を襲った“人生最悪の出来事”「俺が勝ったら、悪者だな」千代の富士が35歳引退で涙を見せるまで
posted2023/02/28 17:03
text by
近藤正高Masataka Kondo
photograph by
AFLO
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突然の不幸
千代の富士は、平成改元からまもない1989年2月に3女が誕生し、「愛」と命名する。翌月の大阪での春場所では、これに励まされるように優勝した。とはいえ14日目の大乃国戦でまたしても左肩を脱臼し、千秋楽は包帯で腕を吊る始末であった。とても優勝記念撮影どころではなかったのだが、それでもなぜか愛と一緒に写真を撮りたくて、反対する妻を説得して大阪まで連れてきてもらった。
すでに上の3人の子供とは優勝のたびに記念写真を撮っていたとはいえ、愛はまだ生後1カ月をすぎたばかりで、妻が反対するのはもっともであった。千代の富士も普段ならそんな無茶は言わないのだが、どういうわけかこのときは娘を抱いて写真を撮りたかったという。このあと東京に戻ると、親子6人で浅草のホテルに宿泊した。ホテルのすぐ近くに自宅があるのに、首も据わらない赤ん坊を連れて一家で泊まりに出かけるなどやはり普通では考えられない。それでも、ただ何となく、そうしてやりたいという気がしたのだという(『不撓不屈』)。
続く夏場所は例の左肩脱臼のため全休し、7月の名古屋場所で再起をかけるつもりでいた。だが、同場所まで1カ月を切っていた6月12日、突如として不幸が彼を襲う。愛が乳幼児突然死症候群により急逝したのだ。千代の富士はあまりの悲しみに葬儀で挨拶に立っても言葉が出なかった。それからしばらくは何も手につかない状態が続き、見るに見かねて「休んではどうか」と心配してくれた人もいたという。しかし、横綱が自分の個人的な理由で相撲を休むわけにはいかないと、名古屋入りした。
「俺が勝ったら、悪者だな」
それでも、いざ稽古が始まってからも、千代の富士はまるで力が入らなかった。稽古場で弟弟子の横綱・北勝海(現在、日本相撲協会理事長の八角親方)と申し合いをしても、腰からストンと落ちてしまうようなひどい状態で、師匠の九重親方(元横綱・北の富士)が「これで千代の富士も終わりか」と思ったほどであった。