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今永昇太の高校恩師が明かす、お調子者の左腕が“投げる哲学者”になるまで「1年時はノートを忘れていた」「一度だけ、私がサインを出すと…」

posted2023/03/01 11:01

 
今永昇太の高校恩師が明かす、お調子者の左腕が“投げる哲学者”になるまで「1年時はノートを忘れていた」「一度だけ、私がサインを出すと…」<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

年齢ではダルビッシュを除くと投手陣最年長となる今永。若い投手たちから相談を受けることも多い「投げる哲学者」の原点に迫った

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内田勝治

内田勝治Katsuharu Uchida

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Hideki Sugiyama

 横浜DeNAベイスターズのエースとして、侍ジャパンにも選出された今永昇太。「投げる哲学者」とも呼ばれ、その考えや発言はファンのみならず、後輩選手にも多くの影響を与えている。福岡の県立高校入学時は“無名”の存在だった左腕の原点に迫った。(全2回のうち第2回/前回は#1へ)

今永の野球ノートは「違うんです」

 福岡の県立高校に140キロを超える左腕がいる――。2011年。北筑高校の今永昇太の名は、北九州のみならず、県下にも響き渡るようになった。

 その自覚は、毎日提出することが義務づけられていた野球ノートにも見て取れた。当時野球部長だった田中修治さんは振り返る。

「1年生の頃は『忘れました』とかなんとか言ってなかなか出さないんですよ。試合に出るようになってから出すようになりました。他の生徒は自分の練習したこと、感じたこと、質問事項を書いてきて、それに自分が答えるみたいな感じでした。でも今永は違うんです。質問とかじゃなくて『こういうことができないからこういうことをした』とか『今こういうことに取り組んでいる』という風に書かれていたんです。今の自分に何が足りないか、何をしないといけないかがしっかり分かっていたと思います」

「天狗になっているところもあった」2年生

 自分を客観的に分析し、独特の理論で方策を導き出す。「投げる哲学者」と呼ばれる左腕の思考力は、この頃から培われていった。

 チームの大黒柱としての責任感も芽生えた。2年生の時は「天狗になっているところもあった」(田中さん)という。ブルペンで捕手を座らせる際に指で指示したり、味方が失策をすればあからさまにふてくされ、試合後のミーティングでは「○○がエラーしたけん、負けました」と他の選手に敗因を押しつけたりと……。田中さんの怒りを買った数々の振る舞いは、最上級生になる頃にはなくなっていった。

【次ページ】 いつでもエースであれ

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