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甲子園の風BACK NUMBER
今永昇太の高校恩師が明かす、お調子者の左腕が“投げる哲学者”になるまで「1年時はノートを忘れていた」「一度だけ、私がサインを出すと…」
text by
内田勝治Katsuharu Uchida
photograph byHideki Sugiyama
posted2023/03/01 11:01
年齢ではダルビッシュを除くと投手陣最年長となる今永。若い投手たちから相談を受けることも多い「投げる哲学者」の原点に迫った
「3年生になったら後輩をかばったり、『心配するな』と声をかけたり、そういう風になっていきましたね。キャッチャーも2年生だったので、うまくコミュニケーションを取ってやっていたと思います」
いつでもエースであれ
高校入学当時は60キロに満たなかった体重も、授業の合間の10分休憩の間におにぎりや、スティック状の8本入りチョコパンなどを食べる「食トレ」の成果もあり、68キロまで増加。身長も165センチから174センチまで伸びた。田中さんがユニークなエピソードを明かす。
「ある日、食べかけのメロンパンがなくなったと大騒ぎしているんですよ。『誰がお前の食べかけのメロンパンを食べるんか』と(笑)。そうしたらカバンの下から出てきて『あ、あった』って。面白いというか、ユーモアのセンスがありましたね」
監督だった井上勝也さんは、今永に「いつでもエースであれ」という言葉をよく言ったという。「お調子者で、要領よく周りを見てやるような選手」だった左腕は、いつのまにか、マウンド上だけではなく、練習中も授業中も私生活でも、他の見本となるようなエースへと成長していった。
「今永に言ったことが実現していくのが、こっちとしても面白くて。一度だけ、練習試合で私が捕手にサインを出したんです。それが、自分が思うようなところに全部決まって、そのまま勝ったことがありました。サイン通りのことをそのまま体現できるのは凄いことだし、キャッチャーもリードをしていて楽しいだろうなと」
2回サヨナラ勝ちした時のバッターが今永だった
模範となるのは、マウンドだけにとどまらなかった。井上さんは、主に7番を打っていた打者としても「勝負強いところがあった」と振り返る。