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甲子園の風BACK NUMBER
「あいつにはいろんな言葉をかけました」今永昇太を高校で指導、恩師が振り返る“110km左腕が2年で142kmを投げるまで”「トルネードに変えてみたり…」
text by
内田勝治Katsuharu Uchida
photograph byHideki Sugiyama
posted2023/03/01 11:00
WBCでは第2先発として正念場での登板も予想される今永昇太。DeNAのエースである“投げる哲学者”はどのようにして現在の境地にたどり着いたのか
2年夏、福岡大会1回戦の八幡南戦で先発。初回に2点を先制し、幸先の良いスタートを切るも、4回に3点を失い降板。6回に再登板も時すでに遅く、終わってみれば2-9の7回コールド負けと、前年秋のような試合展開を繰り返してしまった。
「自分が負けて先輩たちを引退させてしまったというのがあって、そこから練習に対する取り組み方や真剣さはでてきたかなと思います。これから大成する投手だと思ったので、あいつにはいろんな言葉をかけました」
「逆境こそ覚醒のとき」
今永は、井上さんからかけられたこの言葉を座右の銘とし、駒沢大学時代からグラブの手のひら部分に刺繍している。この逆境こそが、今永の原点となった。
なかなかフォームが固まらなくて…
新チームとなった2年秋には球速も120キロ台前半まで上がったが、投げる時に軸足となる左膝が折れ、腰が下がり、うまく右足へ体重移動ができずに制球がばらついてきたところを痛打されるケースが散見された。結局、福岡北部大会3回戦で東筑に2-6と敗退。長い冬が始まった。
「なかなかフォームが固まらなくて、ちょうどその頃は島袋投手が活躍した時だったので、トルネード投法に変えてみたりとかしていましたね」(田中さん)
2010年甲子園で春夏連覇を達成した興南(沖縄)のエース左腕・島袋洋奨さんの代名詞だった「琉球トルネード」で投球練習をするなど、試行錯誤の日々が続いた。