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甲子園の風BACK NUMBER
「あいつにはいろんな言葉をかけました」今永昇太を高校で指導、恩師が振り返る“110km左腕が2年で142kmを投げるまで”「トルネードに変えてみたり…」
text by
内田勝治Katsuharu Uchida
photograph byHideki Sugiyama
posted2023/03/01 11:00
WBCでは第2先発として正念場での登板も予想される今永昇太。DeNAのエースである“投げる哲学者”はどのようにして現在の境地にたどり着いたのか
その不安は的中する。福岡北部大会準々決勝の折尾戦、先発で中盤まで5-0とほぼ完璧な投球をみせるが、その後大崩れ。結局5-12の7回コールドを喫し、九州大会、そしてセンバツ出場の道を絶たれてしまった。
「後半になるとスタミナが切れてボールの威力がなくなってくるんです。投げ方がきれいなので、球筋もスーっと入ってくる感じ。7回くらいから打たれ始めて点数を取られる試合が多かったですね」(井上さん)
必ずダッシュだけはやるように言いました
体作りが必要なのは明確だった。北筑は勉学にも力を入れており、部活動生も19時30分には完全下校。限られた練習時間の中で、投手出身だった田中さんは、今永に「毎日最低30本、塁間ほどの距離をダッシュすること」をノルマとして与えたという。
「必ずダッシュだけはやるように言いました。学校に残されて、練習の終わりごろにしか間に合わないような時も、それだけは必ずしてほしいと。決められたことは毎日やりなさいということですね」
背中をつくる練習
そして井上さんは「背中をつくる練習」を徹底させた。鉄棒で懸垂、丸太を持ってスクワット、トラックのタイヤに綱をつけて、それを腕で引き寄せる……。器具を使ったウエートトレーニングに頼らずに、背筋を主とした体幹周りや下半身を強化させた。
「そういうトレーニングをやって体を作ったりしたのがよかったかなとは思います」(井上さん)
特徴的な左腕のしなりを最大限に生かす土台はこうして作られていった。
原点となった言葉「逆境こそ覚醒のとき」
そして2年生。名実ともにエースとして成長……とまではいかなかった。井上さんは、今永が本当の意味で変わったのは「2年の夏の試合に負けてからだと思います」と明かす。