- #1
- #2
沸騰! 日本サラブ列島BACK NUMBER
若き福永祐一の葛藤「自分にはセンスがない」…偉大な父・洋一と比べられた“天才二世”の素顔「読書家で『水滸伝』にハマっていたことも」
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph byTomohiko Hayashi
posted2023/02/25 11:02
1999年の桜花賞をプリモディーネで制し、22歳でGIジョッキーとなった福永祐一。しかしその翌週に落馬で負傷するなど、決して平坦なキャリアではなかった
「このコースではどの位置につけ、こういうタイミングで仕掛けないと勝てない……というデータ分析ばかりしていました。カッコいいフォームで乗るとか、根本的に馬を御すにはこういう乗り方をすべき、といったことは捨てて、結果を優先させていたんです」
恥ずかしい過去をカミングアウトするような口調だったが、結果で勝負しているのだから、それもひとつの有効な手法だったのではないか。自身にとって理想的な方法ではなかったとはいえ、あれだけ勝てたのだから、見事と言うほかない。
「親父のことを書いてくれてありがとうございます」
とにかく、話していると頭のよさに驚かされる。
私が囲み取材以外で初めて彼と話したのは、2000年の春ごろ、武の自宅で行われたホームパーティだった。何の集まりだったかは忘れてしまったが、石橋守(現調教師)や千田輝彦(同)、そして武幸四郎(同)もいた。先輩が多かったので遠慮していたのか、あまり喋らなかったが、リビングのテレビで武が再生したアメリカのレース映像の馬場入りのシーンを見て、「ゴトゴトした馬ばかりですね」と言っていたのを覚えている。
次にゆっくり話したのは、3年後、武がフジテレビの『クイズ$ミリオネア』に出演したときだった。フジテレビ内に用意された部屋に、電話でヒントを出すメンバーとして、福永と後藤浩輝氏、キャスターの鈴木淑子さん、そして私が一緒に入ったのだ。武が、雑学に詳しいメンバーとして選んだのだろう。
そのころ私は競馬雑誌に「馬上の偉人たち」という、歴代の名騎手を紹介する連載を持っていた。最初に取り上げたのは、1958年にお手馬のハクチカラとともに渡米し、帰国後、日本にモンキー乗りをひろめた保田隆芳元騎手だった。馬も運べるよう旅客機の座席を取り払うなど改造し、羽田空港で何時間もかけてハクチカラを乗せたシーンから始まるノンフィクションだ。
次に取り上げたのが、福永洋一元騎手ら「花の15期生」だった。
フジテレビで会ったとき、福永は開口一番、「親父のことを書いてくれてありがとうございます」と微笑んだ。あの連載を彼が面白いと言っているという噂を耳にしたときは嘘だと思っていたのだが、本当だったようだ。