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沸騰! 日本サラブ列島BACK NUMBER
若き福永祐一の葛藤「自分にはセンスがない」…偉大な父・洋一と比べられた“天才二世”の素顔「読書家で『水滸伝』にハマっていたことも」
posted2023/02/25 11:02
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph by
Tomohiko Hayashi
今月限りで騎手を引退し、調教師に転身する福永祐一が、19日(日)、東京競馬場で国内最終騎乗を終えた。7鞍に騎乗して1勝を挙げ、JRA通算勝利数を「2636」とした。これは武豊、岡部幸雄、横山典弘に次ぐ歴代4位の記録である。
勝利をおさめた第9レースのヒヤシンスステークスでは、ゴール前で大きな拍手が沸き起こった。
国内GIラスト騎乗となったフェブラリーステークスで12着、国内ラスト騎乗となった大島特別で5着となったあと、スタンド前の芝コースでセレモニーが行われた。
「最高のジョッキー人生でした」と声を震わせた
騎手仲間を背にして行われたインタビューで、「お客さんのいないときもありましたし、無観客のダービーもありましたけど、それでも――」と言葉を詰まらせ、「すいません」と小さく苦笑してから、「最高でした。最高のジョッキー人生でした」と声を震わせた。
「悔い、後悔は先ほどのレースでもありますし、尽きなかったですが、未練はひとつもありませんでした。満足する結果というのはどこまで行っても残すことはできないのかなと思いますが、未練なく騎手という仕事を終えられることで、自分はやり切ったのかな、騎手という仕事を味わい尽くせたのかな、と感じています」
25日(土)にサウジアラビアでGIIIのサウジダービーとリヤドダートスプリントに騎乗して、27年の騎手生活にピリオドを打つ。
27年前、1996年3月2日の「天才二世・福永祐一」の登場は鮮烈だった。デビュー戦となった中京第2レースで初騎乗初勝利を遂げると、つづく第3レースも勝ってしまい、大変な騒ぎになった。
その様子を、福永が表紙を飾った『Number』本誌389号ではこう表現している。
<この日は全部で8レースに騎乗した。途中のオッズでは、ぜんぶ祐一が異様な人気を集めて、裏開催の中京競馬場は爆弾が落ちたような感じだった。地下の通路で、100人以上の報道陣が「17年ぶりデビュー2連勝」の新人騎手を取り囲む。物怖じしない姿は、まるで小柄なマイケル・ジョーダンだった>(原文ママ)