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若き福永祐一の葛藤「自分にはセンスがない」…偉大な父・洋一と比べられた“天才二世”の素顔「読書家で『水滸伝』にハマっていたことも」 

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島田明宏

島田明宏Akihiro Shimada

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photograph byTomohiko Hayashi

posted2023/02/25 11:02

若き福永祐一の葛藤「自分にはセンスがない」…偉大な父・洋一と比べられた“天才二世”の素顔「読書家で『水滸伝』にハマっていたことも」<Number Web> photograph by Tomohiko Hayashi

1999年の桜花賞をプリモディーネで制し、22歳でGIジョッキーとなった福永祐一。しかしその翌週に落馬で負傷するなど、決して平坦なキャリアではなかった

 しかし、それまでどんな局面でも緊張しなかったという福永も、殺到する取材に応じるうちに大きな重圧を感じはじめ、正常な判断ができないような精神状態で「競馬の祭典」を迎えた。その結果、意図していなかった、ハナを切る展開になってしまい、直線で失速。14着に沈んだ。勝ったのは武豊のスペシャルウィークだった。

 翌99年、プリモディーネで桜花賞を勝ち、デビュー4年目にしてGI初制覇を遂げる。また、同年の朝日杯3歳ステークス(旧馬齢)をエイシンプレストンで制し、所属する北橋修二厩舎に初のGIタイトルをもたらした。

 その年は落馬負傷で3カ月ほど休んだこともあって、デビュー以来最低の年間43勝に終わったが、2000年は84勝、01年はJRAで81勝を挙げたほか、エイシンプレストンで香港マイルを勝ち、海外GI初制覇を遂げた。

 02年は、エイシンプレストンで香港のGIクイーンエリザベス2世カップを勝ち、阪神ジュベナイルフィリーズ、朝日杯フューチュリティステークスと2週連続GIを勝つなどJRAで89勝をマーク。03年はクイーンエリザベス2世カップを連覇したほかJRAで83勝。04年はGI2勝を含むJRA96勝。05年はJRA・GI5勝を含む109勝を挙げ、さらにシーザリオでアメリカンオークスを勝ち、国内外で存在感を示した。

結果とは裏腹に「自分にはセンスがない」

 リーディング上位は当たり前になり、GIでもコンスタントに結果を出し、「一流」としての地歩を固めているように見えたのだが、本人の意識は違っていた。

「自分にはセンスがない」

 周りからそう見られていると感じていたという。にもかかわらず、デビュー当初から注目度が高かったので、「早く結果を出さないと淘汰されてしまう」という強迫観念を持っていた。師匠の北橋調教師(当時)や、その盟友の瀬戸口勉調教師(同)は、ミスをしてもまた乗せてくれる。それだけに、余計に迷惑をかけてはいけないと思い、結果だけを追い求めるようになった。

 とりあえず結果を出すために、彼が実施したのは「ポジショニングの徹底」だった。筆者が司会・構成をつとめた岡部幸雄氏との対談(『優駿』2012年11月号)で、福永は当時の自身をこう振り返った。

【次ページ】 「親父のことを書いてくれてありがとうございます」

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