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若き福永祐一の葛藤「自分にはセンスがない」…偉大な父・洋一と比べられた“天才二世”の素顔「読書家で『水滸伝』にハマっていたことも」
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph byTomohiko Hayashi
posted2023/02/25 11:02
1999年の桜花賞をプリモディーネで制し、22歳でGIジョッキーとなった福永祐一。しかしその翌週に落馬で負傷するなど、決して平坦なキャリアではなかった
保田元騎手の話は、東京タワーがようやく出来上がるころの、もはや「歴史物」と言ってもいい内容だったのだが、福永はそうした読み物が好きで、『水滸伝』にハマっていた時期もあったという。『水滸伝』だけが特別好きというわけではなく、それくらいは当たり前に読んでいる読書家なのだ。
レース後の囲み取材で競馬論を語るように
その数年後からだと思うのだが、GIレース後に検量室前で行われる福永の囲み取材が長くなった。ただ長くなったのではなく、半分問わず語りのような形で、レース回顧を含めた競馬論を語るようになったのだ。
印象深かったのは、四位洋文(現調教師)が乗ったウオッカが勝った07年のダービーのあとだった。福永が騎乗したアサクサキングスは3馬身差の2着だった。福永は、四位調教師の過去のダービーの成績もよく覚えていて、「ダービーというのは少しずつ近づいて手にするものだと思う」といった話をしていた。面白いことに、前年メイショウサムソンが勝ったときも、2年前にディープインパクトが勝ったときも、四位調教師の馬は3着で、福永の馬が4着だった。つまり、2人は3年連続、並んでダービーのゴールを通過したのだ。
キングヘイローで緊張に呑み込まれたダービーからもうすぐ10年になろうとしていた。彼自身も少しずつ栄冠に近づいているように感じていたのだろう。
彼が「競馬の祭典」で頂点に立つまでにはまだしばらく時間を要するのだが、このころから、「騎手・福永祐一」の本質が、大きく変化しようとしていた。
<つづく>
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