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年の瀬にアントニオ猪木から直電「元気ですか!」…猪木が通い詰めた蕎麦屋の店主が語る“優しい素顔”「最後の晩餐には、蕎麦とワインを」
posted2023/02/19 17:00
text by
原悦生Essei Hara
photograph by
Essei Hara
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アントニオ猪木さんが亡くなって4カ月になったとき、筆者は猪木のいない寂しさを感じ始めた。猪木さんの行きつけだった店を回って、遅れてやってきた“猪木ロス”をちょっと癒やそうという気持ちになった。1軒目は、渋谷の初台にある『手打蕎麦 かわしま』を訪問した。
大忙しの年の瀬に電話で「元気ですか!」
「もしですよ。蕎麦ではなく、うどんやラーメンだったら猪木さんに会うことはなかったでしょう。偶然会えたかもしれませんが、こんな夢のようなお付き合いはなかったでしょうね」
東京の渋谷区初台にある『かわしま』の店主・川嶌博幸さんは、ふとそんなことを口にした。
1970年生まれの川嶌さんは、熊本の中学を終えると東京に出てきて、渋谷区富ヶ谷の蕎麦店で修業を始めた。熊本の実家でも、父親が蕎麦店をやっていた。今は兄の川嶌晃さんがその店を継いでいる。
店の奥の方の壁には、川嶌さんの父が自転車に乗って高く積み上げた出前(セイロ)を運んでいるモノクロームの写真が飾ってある。
「ボクはこんなには持てません。運んだのは、自転車では20杯くらいです。猪木さんはこの写真を見て『セメダインでくっつけているんだろう』って、笑っていました」
蕎麦店が一番忙しいのは12月30日から31日にかけての年越し蕎麦の時期だ。川嶌さんも粉まみれになってぶっ通しで蕎麦を打ち続けるという。
「多い時には600食分くらいです。31日の午前1時か2時ごろ、立ちっぱなし、不眠と疲れでウトウトしてくる。そんな時、電話が鳴ったんですよ。こんな忙しいときに誰だ、と思って電話に出ると『元気ですか!』。猪木さんの声にビシッとして、また蕎麦を打ち続けることができました」
これは猪木の優しさだ。一番大変な時を狙って、猪木流の電話をしてくる。こんなこともあったという。
「電話で『今からオークラに蕎麦を50人前届けてほしいんだけど』って(笑)。つい『はい』って言っちゃいましたけど、もちろん冗談です。サングラスをかけてリムジンに乗り込んでいる写真とともに、『これから店に行くぞ』というメッセージが送られてきたこともありました」