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年の瀬にアントニオ猪木から直電「元気ですか!」…猪木が通い詰めた蕎麦屋の店主が語る“優しい素顔”「最後の晩餐には、蕎麦とワインを」

posted2023/02/19 17:00

 
年の瀬にアントニオ猪木から直電「元気ですか!」…猪木が通い詰めた蕎麦屋の店主が語る“優しい素顔”「最後の晩餐には、蕎麦とワインを」<Number Web> photograph by Essei Hara

アントニオ猪木が足しげく通った『かわしま』の蕎麦。最初は冷たいせいろで蕎麦の香りを楽しみ、一品料理の後に温かい蕎麦で締めていた

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原悦生

原悦生Essei Hara

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Essei Hara

2023年2月20日に生誕80周年を迎える故・アントニオ猪木さん。昨年10月1日に79歳でこの世を去った燃える闘魂は、世界中の“うまいもの”を味わい尽くした美食家でもあった。50年間にわたって猪木さんを撮り続けたカメラマン・原悦生氏が、「アントニオ猪木が愛した味」をNumberWebで紹介する。(全5回の1回目/#2へ)

◆◆◆

 アントニオ猪木さんが亡くなって4カ月になったとき、筆者は猪木のいない寂しさを感じ始めた。猪木さんの行きつけだった店を回って、遅れてやってきた“猪木ロス”をちょっと癒やそうという気持ちになった。1軒目は、渋谷の初台にある『手打蕎麦 かわしま』を訪問した。

大忙しの年の瀬に電話で「元気ですか!」

「もしですよ。蕎麦ではなく、うどんやラーメンだったら猪木さんに会うことはなかったでしょう。偶然会えたかもしれませんが、こんな夢のようなお付き合いはなかったでしょうね」

 東京の渋谷区初台にある『かわしま』の店主・川嶌博幸さんは、ふとそんなことを口にした。

 1970年生まれの川嶌さんは、熊本の中学を終えると東京に出てきて、渋谷区富ヶ谷の蕎麦店で修業を始めた。熊本の実家でも、父親が蕎麦店をやっていた。今は兄の川嶌晃さんがその店を継いでいる。

 店の奥の方の壁には、川嶌さんの父が自転車に乗って高く積み上げた出前(セイロ)を運んでいるモノクロームの写真が飾ってある。

「ボクはこんなには持てません。運んだのは、自転車では20杯くらいです。猪木さんはこの写真を見て『セメダインでくっつけているんだろう』って、笑っていました」

 蕎麦店が一番忙しいのは12月30日から31日にかけての年越し蕎麦の時期だ。川嶌さんも粉まみれになってぶっ通しで蕎麦を打ち続けるという。

「多い時には600食分くらいです。31日の午前1時か2時ごろ、立ちっぱなし、不眠と疲れでウトウトしてくる。そんな時、電話が鳴ったんですよ。こんな忙しいときに誰だ、と思って電話に出ると『元気ですか!』。猪木さんの声にビシッとして、また蕎麦を打ち続けることができました」

 これは猪木の優しさだ。一番大変な時を狙って、猪木流の電話をしてくる。こんなこともあったという。

「電話で『今からオークラに蕎麦を50人前届けてほしいんだけど』って(笑)。つい『はい』って言っちゃいましたけど、もちろん冗談です。サングラスをかけてリムジンに乗り込んでいる写真とともに、『これから店に行くぞ』というメッセージが送られてきたこともありました」

【次ページ】 「イメージと全然違って、すごく優しかった」

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