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年の瀬にアントニオ猪木から直電「元気ですか!」…猪木が通い詰めた蕎麦屋の店主が語る“優しい素顔”「最後の晩餐には、蕎麦とワインを」
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2023/02/19 17:00
アントニオ猪木が足しげく通った『かわしま』の蕎麦。最初は冷たいせいろで蕎麦の香りを楽しみ、一品料理の後に温かい蕎麦で締めていた
川嶌さんにとっても、猪木からの電話は特別だった。
「寝ている時に、兄から電話があったんです。子供が電話だと伝えてきたんですが、『眠いから後で』と出なかった。それから間もなくして、また子供が『電話だけど断る? 猪木さんからだけど』って……」
川嶌さんは飛び起きたという。子供にはっきり言われた。
「晃おじちゃんかわいそう」
「イメージと全然違って、すごく優しかった」
妻の惠子さんとは、最初の修業先の店で出前をしている時に知り合った。惠子さんは出前先の会社でOLをしていた。川嶌さんからプロポーズして結婚した。手打ちの店で数軒ほど修業をつんだ後、2003年8月に独立して渋谷区初台に店を出した。惠子さんの実家近くだった。
川嶌さんは子供の頃から、プロレスが熊本に来ると水前寺の体育館に見に行っていた。猪木が好きだったが、テレビ放送は熊本では深夜だったので、テレビのプロレスは見なかった。
一方、惠子さんの父親は大のプロレスファンだった。テレビがひとつしかなかったので、金曜日の夜8時はプロレスに付き合うことになった。宇田川町で八百屋をやっていた父親は渋谷にリキ・スポーツパレスがあった時代にもプロレスに行っていたという。猪木の大ファンだった。
そんな猪木が、近くに住んでいるお客さんの案内で『かわしま』に初めてやってきたのは、2007年だった。
猪木がいきなり店に入ってきたので、川嶌さんはびっくりしたという。
「猪木さんって体も大きいし、最初はもっと怖い方だと思っていたんです。でも、イメージと全然違って、すごく優しかった」(惠子さん)
猪木は『かわしま』の蕎麦を気に入り、ちょくちょく来店するようになった。川嶌さんから周囲に言うことはなかったが、それでも猪木が来ているというのは、客の目撃で自然に伝わった。
「猪木さんがお店に来てくれるから、父はもう喜んでしまって、猪木さんの方が年上なのに『お父さん』なんて呼んでもらって……」(惠子さん)
川嶌さんはIGFの試合や、猪木のトークショーに何度か出かけた。故郷の熊本でのトークイベント時には、ビンタをもらえるチャンスがあった。現在は福岡市長の高島宗一郎さんがまだアナウンサーの時で、イベントの司会をしていた。