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年の瀬にアントニオ猪木から直電「元気ですか!」…猪木が通い詰めた蕎麦屋の店主が語る“優しい素顔”「最後の晩餐には、蕎麦とワインを」 

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原悦生

原悦生Essei Hara

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posted2023/02/19 17:00

年の瀬にアントニオ猪木から直電「元気ですか!」…猪木が通い詰めた蕎麦屋の店主が語る“優しい素顔”「最後の晩餐には、蕎麦とワインを」<Number Web> photograph by Essei Hara

アントニオ猪木が足しげく通った『かわしま』の蕎麦。最初は冷たいせいろで蕎麦の香りを楽しみ、一品料理の後に温かい蕎麦で締めていた

 ビンタをしてもらえる5人には当たらなかったが、猪木は川嶌さんが目に入ったのだろう。「もう1人、東京から来た人?」と問いかけた。100人ほどが手を挙げた。そんなにいるはずがないのだが、それを見た猪木は唐突に「東京から来た蕎麦屋さん!」と言った。

 これはさすがに1人だった。川嶌さんは当時を思い出しながら笑った。また、こんなエピソードもあった。

「ずっと前(2010年5月)ですが、NHKの生番組『スタジオパークからこんにちは』に猪木さんが出るとわかったので、妻と一緒にNHKまで見に行きました。スタジオの中はもう満員で入れなかったけれど、その光景をガラス越しに見ることはできました。番組の話題が『最後の晩餐には何を食べたいですか』となったとき、猪木さんはとっさに『蕎麦とワイン』と言ったんです」

 司会者はこれに「変わった組み合わせですね」と反応したという。

 猪木は近いところの人だけでなく、遠くにいる人も見ているから、立っている川嶌さん夫妻を見つけたのだろう。

猪木のなぞなぞ「蕎麦屋の子供はなんて呼ぶ?」

 昼に出す蕎麦は朝に打つ。夜の蕎麦は、夜の営業開始に合わせて打つ。残ったものは廃棄せざるを得ない。

「蕎麦は劣化するのが速いんです。生ものよりも悪くなるのが速い。蕎麦ではなく、うどんやラーメンをやっていたら、何軒か店を持てたかもしれません」

 それでも、川嶌さんは蕎麦に強いこだわりがあった。このこだわりが、店を1軒しか持たなかった理由のようだ。弟子もとらなかったし、息子たちにも『蕎麦は難しいから、後を継がなくていい』と伝えている。『かわしま』は一代限りということになる。

 以前、小学生だった息子が、猪木が店に来ている時に学校から帰ってきた。

「店からは入るな、と言っているのに。そうしたら、ちょうど猪木さんがそこに座っていて、『蕎麦屋の子供はなんていうか、知ってるか?』って言うんです。なんだと思います? いつも粉まみれだから、『ソバコ』(蕎麦粉)かな、と思いました。そうしたら『ソバガキ』(蕎麦掻き)だって、笑うんです」

 川嶌さんはその「ソバガキ」の息子が、猪木と孫のように戯れている写真を見せてくれた。

【次ページ】 緊張のあまり簀巻きから卵焼きが…

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