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年の瀬にアントニオ猪木から直電「元気ですか!」…猪木が通い詰めた蕎麦屋の店主が語る“優しい素顔”「最後の晩餐には、蕎麦とワインを」
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2023/02/19 17:00
アントニオ猪木が足しげく通った『かわしま』の蕎麦。最初は冷たいせいろで蕎麦の香りを楽しみ、一品料理の後に温かい蕎麦で締めていた
闘病中の猪木のために出張して蕎麦を茹でた
次に出されたのは、馬ヒモの塩焼きだった。馬のあばら部位で、カルビのようなものだという。
猪木がよくかじっていた冷たいキュウリも、ザルに乗って出てきた。添えられた黒い味噌は川嶌さんの熊本のお母さんの手作りで送られてくるものだ。黒ゴマやニンニクなどが入っているという。
最後は猪木に倣って、温かい天ぷら蕎麦で締めよう。
「猪木さんは天ぷらではないときは、揚げ玉でたぬきにもしていました。それから焼酎は蕎麦湯割り、それに蕎麦つゆも入れて飲んでいましたね。帰るときに蕎麦を揚げたのを、お土産代わりに持ち帰っていました。それは猪木さんが来た時しか揚げませんね。それをポリポリかじるんです。もうしばらく揚げていません」
川嶌さんは猪木の入院中、千葉の病院まで行き、簡易コンロで蕎麦をゆでた。
「さすがにキッチンカーなんて持っていませんから(笑)」
猪木が都内に戻ってきてからも、病院の駐車場で蕎麦をゆでた。自宅にも出張した。猪木は嬉しそうに、その蕎麦を食した。
川嶌さんは猪木と出会えた人生を幸運に思っている。入院している時でさえ、自分が打った蕎麦で毎週のように喜んでもらえたのが、嬉しかった。
「猪木さんが昔、最初に働いた店の出前先の神山町に住んでいたんです。家に出前したのは1回きり、ご本人は出てきませんでした。でも、1週間に1回、メニューを入れに行っていました。それが、まさかこんなご縁に恵まれるとは……。僕が会いたかった人に、アントニオ猪木さんに、蕎麦屋だったから会うことができました」
<#2に続く>
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