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若き武豊は「メジロマックイーン降着事件」をどう乗り越えたのか? 初代番記者が明かす天才騎手のルーツと“進み続ける力”〈4400勝達成〉
text by
片山良三Ryozo Katayama
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2023/02/04 17:18
JRA通算4400勝を達成した武豊の若手時代(1991年撮影)。栄光だけでなく多くの苦難を乗り越えて、現在も前人未到の記録を更新し続けている
翌朝のスポーツ紙は各社とも一面に競馬を持ってきて、天才騎手の過ちをセンセーショナルな見出しで伝えた。「武豊よ紳士たれ」「ファンぼう然、激怒」「天才の名が泣く大失態」「プロならルール以前の問題だ」等々、それはそれはものすごい叩き方。大きなお金が動くレースでの出来事だったとはいえ、ワンプレーのミスにしては個人にかかる負担、反動はあまりにも重いものだった。
ギクシャクしたマスコミとの関係…武豊が開いた扉
それから数カ月もの間、武豊とマスコミの関係は私も含めてギクシャクしたままで停滞した。それは、冷戦状態の一歩手前とも言える緊迫した状態だった。
完全に閉ざされかけていた扉を開けたのは、武豊だった。
「もうしゃべらないという選択肢もある、と真剣に思いましたが、それではなにも前に進まない。言うことは言って存分に書いてもらう。それがベストと結論しました」
その考えに到達するきっかけは、海外のトップジョッキーとの交流の深まりだった。「成功しているジョッキーの共通点は、ポジティブで開けっぴろげなところでした。そう気づかされたのなら、自分もそうしていくだけでしょう?」
事件を乗り越え、本来の前向きさに舵を切ってからは、骨盤や鎖骨の骨折も、一部馬主との一方的な絶縁も、見事な切り換えで全部乗り切ってみせた。年頭のたびに1年の目標を毎年尋ね続けてきたが、判で捺したように「去年の自分より、昨日の自分より、少しでも上手なジョッキーでいたい」と、ずっと言い続けてきた武豊なのだ。
常に前を見て、進み続ける力。平成の世に現れた天才騎手の原動力は、幕末に日本の夜明けを探し歩いた武士の精神そのものなのかもしれない。
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