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若き武豊は「メジロマックイーン降着事件」をどう乗り越えたのか? 初代番記者が明かす天才騎手のルーツと“進み続ける力”〈4400勝達成〉
posted2023/02/04 17:18
text by
片山良三Ryozo Katayama
photograph by
BUNGEISHUNJU
2023年2月4日、武豊騎手が小倉1Rで前人未到のJRA通算4400勝を達成しました。これを記念して、Number913号(2016年10月20日発売)より『[初代番記者の追憶]武豊 四千勝の源流。』を特別に無料公開します。※年齢、肩書などはすべて当時
「この若者の一夜明けの表情を取材して来い!」
'88年11月6日、デビュー2年目の武豊が19歳の若さで菊花賞を鮮やかに勝った。そのシーンを大手町のサンケイスポーツ新聞東京本社で地味な内勤仕事をしながらテレビで観ていると、多くの先輩記者を差し置き、デスクの指令が入社間もない私に向いたのだ。
教わった取材の手がかりは武家の電話番号だけ。もとより宿泊の準備もなかったが、初めての栗東へ喜び勇んで走ったのを昨日のことのように覚えている。
翌朝、電話に出ていただけたのは武邦彦調教師の夫人、武豊の母でもある洋子さんだった。「昨夜は内輪のお祝いを遅くまでやっていたので、豊はまだ寝ています。起きてまいりましたら、こちらからお電話を差し上げるように伝えます」と、恐縮するほど丁寧な応対に戸惑いさえ感じた。取材相手はルーキーイヤーに69勝をあげて新人最多勝記録を塗り替え、2年目にはリーディング争いに加わる活躍を続ける注目の人なのに、こちらは彼のデビューから1年半も過ぎてからの初出動。出遅れ感満載で出向いたというのに、ファーストタッチの感触は想像の逆だった。
「モノが違う…」ひと目でわかる騎乗フォームの美しさ
結局、その日は電話だけの取材になったが、時間はたっぷりと割いてもらえて、15字×60行という指定のスペースを埋めるには十分過ぎる収穫を得ることができた。
早々に脱稿して夕方の新幹線で東京へ帰る準備をしていると、「連載が決まったから、しばらく栗東にいる覚悟をしておけ」というデスクからの突然の指令。ファックスで送られてきた紙面を見ると、そこには「緊急連載! 魔術師二世 武豊の素顔(1)」とタイトルが振られていた。
翌朝、栗東トレセンの調教スタンドに行くと、武豊の存在は想像を遥かに超えるキラキラした輝きに包まれていた。ジョッキーはみんな細身だが、その中でも格段にスマートでカッコいい。調教に乗る騎乗姿は、さらなる美しさで思わず息を呑んだ。美浦トレセンでは当時売り出し中の柴田善臣の騎乗フォームがきれいだと感じていたが、正直、モノが違った。関東では、ファンも含めて武豊の活躍を懐疑的に見る声が少なくなかったものだが、実物を見れば疑いもなにもない。偽物であってほしいと思いたい人が多いだけだった。