“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
「将来は吉田麻也選手のように」「筑波大でもキャプテンをやりたい」進学を選んだ高校No.1ボランチが名門・前橋育英で担った“嫌われ役”
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byAFLO SPORT
posted2023/01/06 17:18
昨年度大会に続き、選手権ベスト8で姿を消した前橋育英。エース番号「14」を背負ったキャプテン徳永涼は「やれることは全部やりました」と前を向いた
そうやって自らの意思決定に確固たる軸を持ってきた徳永は、強い気持ちで入学した前橋育英では徐々に存在感を発揮する。1年時は怪我もあったが、2年時から同校のエースナンバーである「14」を託され、そして昨冬にキャプテンに就任した。
「周りから嫌われてもいいから、チームの勝利のために言うべきところは言おうと思いました」
だが、高校最後の1年間は葛藤する時間も多かった。
インターハイで全国制覇を達成した後、徳永はチームに“緩み”を感じた。8月の和倉ユースサッカー大会ではダラダラと集合する仲間たちの姿や、事前にやっておくべきストレッチもおろそかにするシーンが目についた。徳永は信念に従い、厳しく指摘した。しかし、気づくと自分が孤立していることに気づいた。
『あいつはいいよな、年代別代表とかに入って、プロからも声がかかって』
周りからはそんな声も聞こえてきた。いつからか自分は“めんどくさい存在”になっている――まだ18歳、そんなシーンに直面すれば心が折れてもおかしくない。それでも徳永は、「もう一度日本一になるためにやるべきことをやる。時には正面衝突することも大切だ」と言い聞かせ、自分を避ける仲間たちに立ち向かい続けた。
徳永が仕掛けた3年生だけのミーティング
そこから徳永はチームの中で我を通すだけではなく、コミュニケーション面に気を配った。その1つが、4つに分かれたカテゴリー関係なく全ての3年生部員を集めたミーティングだった。目的はトップチーム以外の選手の本音を共有すること。
そこで3年間、怪我に苦しんでCチームにいた押田琉久の思いを知る。
「今のお前らならやれるから、もっとサッカーに熱量を持って欲しい。悔しい気持ちはあるけど、これを抑え込んで応援しているし、心から勝利を願っている」
押田の熱い思いは、キャプテンから距離を置いていた選手たちの表情を変える。選手権直前には、押田と同じようにCチームで努力を続けてきたGK妹尾典の「メンバーに入ってない選手はみんな腐ってなんかいないから、全力で応援するよ」という声も響いた。そして徳永はこんな言葉でミーティングを締めた。
「今、スタメンで出ている人たちは自分の力だけでスタメンを得たと思わないで欲しい。グラウンドで一生懸命サッカーに打ち込んだり、学校や寮で一生懸命勉強をしている仲間たちから刺激をもらったからこそ自分が成長できたと思って欲しい。仲間を大切にしながら、もっと必死でやろう」
選手権が近づくと各々が体調管理を始め、ピッチ内外で規律を守る集団となって集大成の大会を迎えることができた。だからこそ、1回戦の日章学園戦、3回戦の昌平戦で先制を許しても「全く負ける気がしなかった」(徳永)と思えたのだろう。
準々決勝の大津戦では58分にキーマンMF小池直矢が2枚目のイエローカードで退場になったが、その時も徳永は「絶対に大丈夫だから。あとは俺らに任せろ」と笑顔で小池を見送った。ふと周りを見ると、味方も同じ思いだったことはすぐにわかった。
「絶対にこのチームは負けないと思った。むしろこれで相手が10人の相手に点を取らないといけないと心理的に焦ると思った」