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「普通の高校に行く」はずが…浅野拓磨の才能が発掘された日、前田大然が“サッカー部除籍”で改めた心構えとは〈日本代表の青春時代〉

posted2023/01/06 17:00

 
「普通の高校に行く」はずが…浅野拓磨の才能が発掘された日、前田大然が“サッカー部除籍”で改めた心構えとは〈日本代表の青春時代〉<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto/JMPA

谷口彰悟、浅野拓磨、前田大然。高校サッカーからW杯日本代表へとたどり着いた

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NumberWeb編集部

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Kiichi Matsumoto/JMPA

 雑誌「Sports Graphic Number」と「NumberWeb」に掲載された記事のなかから、トップアスリートや指導者たちの「名言」や写真を紹介します。今回は日本代表の高校時代にまつわる3つの言葉です。

<名言1>
「大津高校の平岡(和徳)先生のようになりたい。大学に行きたい」と言っていました。
(向島建/NumberWeb 2022年11月19日配信)

https://number.bunshun.jp/articles/-/855370

◇解説◇
 大津高校は第101回高校サッカー選手権でベスト4進出を果たした。昨年度も準優勝を果たしているなど九州随一の強豪校として知られるが、同校OBで最も有名になった選手と言えば谷口彰悟だろう。

 カタールW杯で3-4-2-1システムを主戦とした森保一監督率いる日本代表にあって、谷口は最終ラインの一角として安定した守備、ビルドアップを見せた。これまで海外クラブに在籍歴はないものの、Jリーガーとして列強国のアタッカー相手にも戦えることを証明してくれた。

 谷口は筑波大を経由して、2014年から川崎フロンターレの一員となった。三笘薫や守田英正、さらに言えば中村憲剛や小林悠……と川崎が“得意パターン”にしている大卒組の活躍ぶりだが、スカウトの向島は谷口について、すでに高校時代から目をつけていたのだという。

「高校2年生で出場した高校サッカー選手権で見ました。当時はボランチで、シンプルにボールをさばく姿にセンスを感じましたね。身体能力も非常に高かった。2年生の選手権後に宮崎県綾町の春季キャンプに呼んでみて、フロンターレのスタイルにもマッチしていたので、ぜひ獲りたいと感じました。キャンプにはお父さんも来ていて、口頭で『どうですか』と打診させてもらいました」

 高校生時点で開けたプロフットボーラーの道。しかし谷口は自分自身のキャリア形成を考え、大学進学という道を選んだ(筑波大在学中には保健体育の教員免許を取得したほどだ)。

「4年後にまたお願いします」と

 この決断について、当時の向島は「無理矢理に入れることはないので、『4年後にまたお願いします』と話をしました」。それから4年後、谷口はユニバーシアード日本代表として2大会プレーするなど着実に成長し、実際にフロンターレの一員となったのだから、両者にとってベターな選択となったと言える。

 谷口は2023年からカタールのアル・ラーヤンへと移籍し、現地時間5日に行われた国内リーグではさっそく先発出場を果たし、チームの勝利に貢献している。円熟味が出てきた日本代表センターバックは、学生時代と川崎時代を礎に新たな挑戦を始めている。

【次ページ】 浅野は「ずば抜けたスピードを持っていた。しかも」

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