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野球クロスロードBACK NUMBER
巨人の獲得は「ムードメーカーとして、と思ったんすけど…」松田宣浩が原監督との電話で言われた“意外な言葉”…「浮くくらい頑張ります」
posted2022/12/26 11:03
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph by
Keiji Ishikawa
1990年代「松田家の日常」
憧れのヒーローはブラウン管の中にいた。
野球の練習と勉強を済ませてから夕食を摂り、テレビの前で固唾を呑んでスタンバイする。自分だけではない。家族全員がメガホンを持って応援の準備を整える。
まだインターネットが一般に普及しておらず、民放でプロ野球中継が当たり前のように放送されていた1990年代。午後7時になると『劇空間プロ野球』で巨人戦を観戦するのが、松田家の日常だった。
関西の滋賀県出身である松田宣浩は、巨人ファンだった。親に甲子園球場に連れて行ってもらうと、ホームの阪神が陣取る一塁側ではなく三塁側のスタンドで巨人を応援した。鳴り物入りで入団し、瞬く間に主軸へと成り上がっていった松井秀喜は当然覚えているが、キャリアの晩年を迎えてもなお輝きを放つ原辰徳の雄姿も鮮明に焼き付いている。
「背番号『8』ね。かっこよかったなぁ」
巨人獲得までの“不安”
遡ること、およそ1カ月半前。
まさか自分が、子供の頃に憧れた伝統の巨人軍のユニフォームを着て、しかも、原の指揮の下で戦うとは想像もできなかった。
9月にソフトバンクから戦力外を通告された。野球が好きで、大きな怪我もなく、体はまだまだ動く。現役を続けるために17年間も在籍した球団を離れたわけだが、自由契約となった松田にあてなどあるわけがなかった。
39歳。球界を見渡せば、日本ハムの金子千尋(12月23日に引退を表明)、オリックスの増井浩俊、巨人の山口俊、中日の平田良介と、自分と似た境遇の同世代の選手もいまだ移籍先が決まっていない。ソフトバンクを戦力外となったことこそ、「結果を出してないから」と受け入れることができたが、来年の居場所がないかもしれないと考えるだけで、不安が松田を襲ってきた。
「1日、1日、チャンスがなくなっていくくらいの感じやったんで。そういう状況だと結局、『どこかで期限を設けないと』って考えないといけないから、それがきつかった」
シーズンが終わると、報道などで<数球団が松田の獲得を検討している>といった論調の憶測が飛び交った。だが、当の本人にはそんな話が一切ない。そんななか、最初に手を挙げてくれたのが巨人だった。