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藤波辰爾68歳は“アントニオ猪木の入場曲”にどんな思いを込めたのか? 棚橋弘至との師弟対決が「幸福な11分44秒」になったワケ 

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原壮史

原壮史Masashi Hara

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posted2022/12/10 17:00

藤波辰爾68歳は“アントニオ猪木の入場曲”にどんな思いを込めたのか? 棚橋弘至との師弟対決が「幸福な11分44秒」になったワケ<Number Web> photograph by Masashi Hara

12月1日、68歳の藤波辰爾は50周年記念ツアーのファイナルで棚橋弘至と対戦。12分弱の濃密な師弟対決にファンは酔いしれた

 結果は60分時間切れ引き分け。負けなかった猪木だが、試合後に自らの手で藤波の腰にベルトを巻くと、2人は涙を隠せなかった。

 実際に猪木が引退したのは10年後の1998年だが、これが事実上の引退試合だった、とするファンは少なくない。

棚橋弘至の分岐点になった藤波辰爾との師弟関係

 藤波の50周年ツアーの最後に組まれた棚橋との20年ぶりのシングルマッチが持つ意味とは……。もっとも、これは受け手の脳内で勝手に様々な可能性が生まれているだけだ。本人たちが何かを示唆することは無く、実際にその部分で2試合がリンクすることはなかった。

 間違いなく重なっていたのは、弟子が師匠を独占することができる最高に幸せな時間がそこにあった、ということだ。

 2002年、『G1 CLIMAX』に初出場することになった棚橋は、藤波に志願して手ほどきを受けた。ドラゴン殺法の伝承という意味合いだけでなく、自ら「棚橋弘至というレスラーの分岐点」と振り返るほど――その指導が無ければ今の姿は無かったかもしれないほど――棚橋にとって重要なことだった。

 ちなみに、同年10月に無我のリングで実現したシングルマッチは7分30秒で決着。腕を取られたところを丸め込んだ藤波が勝利を手にしている。ただし、この時の棚橋はまだ「勝手にヤングライオン卒業を宣言して、勝手に赤タイツを穿いただけのキャリア2年の若手」(本人談)だった。今回の師弟対決は、新日本を牽引し、プロレス人気をもう1度爆発させてきた“エース”として、そして、藤波から教わったことを自分なりに昇華させてきた“棚橋弘至”というレスラーとしての初シングルだ。

 9月に行われた会見で棚橋は「全プロレスラーのお手本の所作を間近で見られる。僕にしか味わえない特権」と語り、60分を時間いっぱい満喫することへの意欲を見せていた。

【次ページ】 11分44秒の幸福な時間

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