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大阪桐蔭“まさかのドラフト指名漏れ”余波「育成する時間がなくなった?」西谷監督が記者だけに漏らした“本音”とは《超強豪にいま何が?》 

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氏原英明

氏原英明Hideaki Ujihara

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photograph byJIJI PRESS

posted2022/12/11 11:01

大阪桐蔭“まさかのドラフト指名漏れ”余波「育成する時間がなくなった?」西谷監督が記者だけに漏らした“本音”とは《超強豪にいま何が?》<Number Web> photograph by JIJI PRESS

今秋のドラフト会議。大阪桐蔭OB・現役選手として松尾汐恩がDeNAから1位指名を受けるも、他の候補は指名漏れが相次いだ

 中学時代から変化球打ちに秀でていた中村は、高校でその才能をさらに開花させた。高校通算本塁打83本をマークし、2001年ドラフト2巡目で西武ライオンズに入団した。以降、ホームラン王のタイトル6度、打点王を4度受賞している。

 その中村だが、実は甲子園に出場していない。その頃のチームは、西谷監督も「過去、最強クラス」と言えるほどのタレント性も、まとまりもあったチームだったが、最後の夏は大阪府大会決勝戦で涙を呑んだ。西谷監督が「監督の差を感じた試合。この世代のことは今も忘れられない」と語るほど、記憶に残るチームだった。

 高校野球のフィールドだけで見れば、西谷監督が同チームを甲子園に導けなかったことはマイナスな経歴になっただろう。しかしそれ以上に、大阪桐蔭出身選手の「プロでの活躍」はチームに大きな効果をもたらした。

 中村を筆頭に、同期の岩田稔(元阪神)、その下の西岡剛(元ロッテなど)らが、軒並みプロの舞台で飛躍。大学や社会人の舞台にも多くの選手を輩出している。

「甲子園は通過点」という指導方針だった

 このように少し前の大阪桐蔭は、甲子園出場や優勝を目指し、それが叶わなかったとしても、その先に繋がっているという自負があったチームだった。それは西谷監督がかつて語っていた言葉からも明らかである。

「OBの活躍によって僕たちがやってきたことが間違っていないと思えるようになったのは事実ですね。監督が勉強しないといけないことは山積みでしたけど、信じてやっていけばいいのかなと。試行錯誤の中ではありますけど、そんな思いはありました。だから、中村や岩田、西岡らにはオフに、グラウンドによくきてもらいましたね。(プロ・アマ規定上)指導はできないですけど、高校時代の話をしてくれたら、僕らが言うよりも説得力がありますからね」

 先の世界を意識してプレーをする。甲子園はゴールではなく通過点にする指導方針が、大阪桐蔭にとってぶれない信念だった。

 こうした選手の意識変革によって、2008年夏の甲子園を制覇して以来、結果もついてくるようになった。

【次ページ】 「チーム力向上」の前に「個の育成」があった

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