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大阪桐蔭“まさかのドラフト指名漏れ”余波「育成する時間がなくなった?」西谷監督が記者だけに漏らした“本音”とは《超強豪にいま何が?》

posted2022/12/11 11:01

 
大阪桐蔭“まさかのドラフト指名漏れ”余波「育成する時間がなくなった?」西谷監督が記者だけに漏らした“本音”とは《超強豪にいま何が?》<Number Web> photograph by JIJI PRESS

今秋のドラフト会議。大阪桐蔭OB・現役選手として松尾汐恩がDeNAから1位指名を受けるも、他の候補は指名漏れが相次いだ

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氏原英明

氏原英明Hideaki Ujihara

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近年、高校野球界で無類の強さを誇る大阪桐蔭。その裏で、今秋のドラフト会議では同校選手の指名漏れが相次いだ。いま、大阪桐蔭に何が起きているのか。同校を20年にわたり取材してきた記者が探った。

◆◆◆

 指揮官が冗談混じりに口にした言葉は、どこか本音のようにも聞こえた。

「早く帰りたい」

 大阪桐蔭の西谷浩一監督が、史上初の明治神宮大会連覇を果たしたその日に、課題を持ち帰って練習したい、という意味で語ったものだった。

無類の強さもドラフト指名漏れ多数…なぜ?

 平成後期以降の大阪桐蔭の強さは周知の通りである。

 甲子園に出れば毎回、優勝候補。負ければ「選手を集めているくせにロクな指導していない」と叩かれ、圧倒的な強さで優勝すれば「選手を集めすぎ」「勝って当たり前」などと妬まれる立場にある。

「何をしても叩かれるので、もう慣れています」

 そう語る指揮官からは、ネガティブな声にさらされてしまう現況が窺える。

 そんな大阪桐蔭に今秋、屈辱的な出来事があった。

 高校・大学を含めてプロ志望届を出した大阪桐蔭の選手のうち、5人中4人がドラフト指名漏れの憂き目にあったのだ。

 大阪桐蔭に何が起きているのだろうか。同校の歴史と現状を分析してみたい。

就任当初の西谷監督が目指したもの

 大阪桐蔭野球部は1988年に創部し、1991年夏に甲子園初出場初優勝を果たした。その当時と現在はまるで性質の異なるチームと言えるだろう。監督を含めてスタッフ体制が違うこともあるが、その頃の大阪桐蔭はどちらかといえば、甲子園出場、その先の優勝だけを目指すチームだった。

 1998年に監督就任した西谷監督はかつて、こんな話をしていた。

「僕はコーチから監督になったんですけど、当初のチームは高校で終わってしまう選手が多かったんですよね。その先にも世界があることを知らなかった。だから僕は、大学野球や社会人野球という存在を教えたり、そこへ実際に見に行かせたりするようにしましたね」

 卒業生が大学野球の世界で活躍すれば、その記事を寮内に張り出した。秋の社会人野球日本選手権の観戦に連れ出すこともしばしばだった。先の世界を意識させることで、高校野球で終わらない選手の育成を目指したのだ。

 西谷監督就任後の方針で大成した選手が中村剛也だった。

【次ページ】 「甲子園は通過点」という指導方針だった

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