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メッシいきなり崖っぷち! イレブンと全国民の願いを背負ってメキシコと戦うアルゼンチンに注目せよ《天才FW最後の挑戦》
posted2022/11/26 11:00
text by
近藤篤Atsushi Kondo
photograph by
Getty Images
サッカー漬けの日々が始まった。
ふだんさほどサッカーに慣れていない(=にわかな)人々にとっては、ワールドカップ期間は睡眠不足とアドレナリン過剰放出の日々が続くが、慣れている(=ジャンキーな)人々にとっては、セロトニンとアドレナリンが脳内を駆け巡る至福の日々だ。
石川県のどこかの町に、「フグの子の糠漬け」というのがあって、これは漬けてすぐに食べると即死だけれど、3年経つと絶品の味になる。サッカー漬けも、まあそれに似ている。
以前のフォトエッセイでも少し書いたが、僕が生まれて初めてサッカー漬けの時間を過ごしたのは、1986年にメキシコW杯を生で観戦したときだった。
メキシコシティ、グアダラハラ、プエブラ、モンテレイ。およそ30日間どの町に行っても、人々はひたすらサッカーのことを語っていた。丸い球が白い枠の中に入ったか入らなかったか、足がひっかかったかひっかからなかったか。そんなどうでもいいことについて絶叫し、興奮し、飲み、歌っていた。今風に言うと、サッカーという名のパンデミック状態だった。
W杯が終わると、僕はバックパックに最低限の荷物を詰めてグアテマラとかホンジュラスとかにあるマヤ文明の遺跡を2カ月ほど見物してまわった。古びたピラミッドの頂上で一夜を過ごしたり、夜のジャングルでハンモックを吊って寝ていたら、脚中蟻だらけになって死にそうになった。
365日24時間サッカー漬けのアルゼンチン
バックパッカーとマヤ文明は2カ月で飽きてしまい、ある日の午後、僕はマイアミ経由でアルゼンチンのブエノスアイレスに飛んだ。きっかけはグアテマラシティの安ペンションの中庭で読んだ新聞だった。スポーツ欄の片隅に、その年のリベルタドーレス杯(南米大陸のチャンピオンクラブを決める大会)の決勝の結果が小さく載っていた。
「今年の南米王者はリバープレート!」
なぜかはわからないのだけれど、その記事を読んだ瞬間、数カ月前にW杯で優勝したアルゼンチンという国、何万キロも離れた自分とは何の縁もゆかりもない国が、にわかに現実味を帯びたものとなった。「リバープレートを見に行く」。それがその日からの人生の目的となった。