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“ドラミちゃん”相馬勇紀が早大で「グランパス加入リリースを添削」された日…元Jリーガー+テレビマン恩師の“進化した自己表現”ウラ話
posted2022/11/21 11:04
text by
NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph by
Adam Pretty - FIFA/Getty Images
三菱養和SC時代の相馬勇紀は「かわいらしい」「愛される」「いじられる」キャラクターとして、すくすくと成長していった。今では“ドラミちゃん”という愛称でサッカーファンに知られるようになった相馬だが――早稲田大学に入学したのは2015年のこと。そこからの4年間、学年を積み重ねていくにつれて、少しずつ別の人間性を身につけていったようだ。
現在ベンチャー企業で働くの栗村智弘は学生新聞の『早稲田スポーツ』時代、1~3年生時の相馬を取材者として見ていた。その頃の記憶をこう辿る。
「縦突破のスピードは1年生の頃から秀でていました。ただ、3年生になった頃に、チームを背負って立つという意思を感じるようになりました」
“左サイドでもプレーさせてほしい”の直訴
実は、相馬が在籍した頃のア式蹴球部は、ジェットコースターのような浮き沈みだった。
2015年(1年時):関東1部優勝
2016年(2年時):関東1部11位/2部降格
2017年(3年時):関東2部優勝/1部昇格
2018年(4年時):関東1部優勝
栗村が口にした3年生の時とは、関東2部リーグに降格したシーズンである。
相馬の1~3年時に指揮を執った古賀聡監督(現名古屋グランパスU-18監督)が用いた基本フォーメーションは〈4-4-2〉。相馬の主戦場であるサイドハーフの選手は「利き足と同じサイド」に配された。右利きの相馬も特別扱いではなく、右サイドだった。三菱養和SC時代に得意としていた「左サイドからのカットイン」ではなく、縦に抜けてのクロスで存在感を放っていた。
ただ、前年2部降格を味わった3年生としてシーズンを迎えるにあたり、相馬は古賀監督に対して“左サイドでもプレーさせてほしい”と提案したという。主力としてチームを勝利に導くため、何が最適解なのか。その答えが指揮官への直訴だったのでは――と栗村は推察する。
〈試合に勝って泣いたのは初めてですね〉
この年、早大はリーグ戦で昇格争いを繰り広げ、圏内の2位で最終節を迎える。
相手は首位の国士舘大だった。それも「勝てば逆転優勝、負ければ2部残留の可能性」というシビれる一戦で、相馬は大仕事をした。
1-1で迎えた36分に早大が奪ったゴールは、相馬のCKから生まれたもの。そこから2-2に追いつかれたが、78分に相馬の真骨頂であるスピードで左サイドを切り裂くと、相手に引き倒されPK。これを相馬が自ら決めて決勝点を奪い、逆転優勝と昇格を文字通りもぎとったのだった。
殊勲者となった相馬は涙を流した。早稲田スポーツの取材にはこう答えている。