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“邪道姫”と呼ばれた元女子レスラー・工藤めぐみ53歳が明かす、“なぜデスマッチを極めたのか”? 命の危険も「意識もうろう、呼吸ができず…」
posted2022/11/11 11:01
text by
伊藤雅奈子Kanako Ito
photograph by
Hideki Sugiyama
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ブシロードグループへの事業譲渡によって、スターダムが新日本プロレスと同系列の団体になって3年が過ぎた。今夏には、新日本の象徴である「IWGP」に女子王座が新設された。
さかのぼること33年前、男子プロレスも女子プロレスも、異種格闘技戦もデスマッチも同じリングで展開する男女混合団体「FMW」が誕生した。大仁田厚が所持していたわずか5万円で旗揚げされた、インディー団体のパイオニア。旗揚げ翌90年、全日本女子プロレス(全女)を退団していた工藤めぐみ、豊田記代(コンバット豊田)、天田麗文が乱入して、女子部が活性化。工藤は、「女子初」の禁断の扉を次々と開いていった。
ストリートファイトマッチ。ストリートファイト担架デスマッチ。男女混合ミックスドタッグマッチ。鉄檻監禁マッチ。ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ。ノーロープ有刺鉄線電流爆破バリケードダブルヘルデスマッチ。
ついた愛称は“邪道姫”。痛々しくも、人の心に訴えかけるハードコアファイトを提示してみせ、「デスマッチは残酷ショーだ」という批判の声を封殺した。
全女→保育士助手から再びプロレスラーに
工藤 全女を辞めたあとは、保育士助手をしていました。偶然プロレスを観に行くことになって、それがFMW。のちに男女混合で、前例がない団体だということを知って、私が上がったときはスポット参戦なのか定期参戦なのか、それさえわからないスタートでした。でも、中途半端で(全女を)辞めて、キャリアもない人間が、もう一度プロレスができるといううれしさが、一番にありましたね。
――その90年に、大仁田さんが“涙のカリスマ”として大ブレイク。猛スピードでスター街道を駆けあがっていく様を近い距離で見ていて、いかがでしたか。
工藤 夢がひとつずつ叶っていって、状況がどんどん変わっていくんですね。最初は、みんなが1つのバスで移動して、そのなかに大仁田さん、(ターザン)後藤さんもいて、試合が終わればみんなで一緒にごはんを食べる。ほんとの家族のようなところからはじまって、大仁田さんが忙しくなられてからは、バス移動ができなくなった。テレビをつければ、いろんな分野の番組に出られていて、プロレス会場もどこに行っても満員。イベントも(FMWの聖地となった)川崎球場もお客さんであふれていて、プロレスを知らない人が大仁田さんのことを知っているという状況を、身近で見させていただきました。