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《W杯名勝負》戸田和幸がスパイクを真似た1990年のロベルト・バッジョ、2018年の衝撃的に「凄すぎた」キリアン・ムバッペ
posted2022/11/09 11:00
text by
戸田和幸Kazuyuki Toda
photograph by
Getty Images
ワールドカップには人それぞれに「記憶に刻む名勝負」がある。
大会初のPK戦となった1982年スペイン大会の西ドイツ対フランス、ジーコとミシェル・プラティニが激突した1986年メキシコ大会のフランス対ブラジル、近年で言えばC・ロナウドがハットトリックを決めるなど壮絶な打ち合いを演じた前回2018年ロシア大会でのポルトガル対スペインなどなど、挙げていくとキリがない。
ワールドカップ・フリークでもあるサッカー解説者の戸田和幸さんに「Number渋谷編集室 with ABEMA」の企画として、戸田チョイスの「名勝負」を挙げてもらった。
バッジョに目を奪われた90年イタリア大会
僕がワールドカップを本格的に見始めたのが中1のときに開催された1990年のイタリア大会でした。ここでロベルト・バッジョのプレーに目を奪われて、テレビにかじりつくように見たことを覚えています。
イタリアは(グループリーグ第3戦で)チェコスロバキアと戦い、この大会で得点王になるサルバトーレ・スキラッチが先制点を挙げて、2点目をバッジョが決めます。スラロームからゴールする形が本当に美しかった。バッジョが一気にスターダムをのし上がっていく、そのきっかけとなるゲームだったように思います。僕もこれでバッジョを好きになって、同じディアドラのスパイクを履いていたくらいです。
バッジョがいたイタリアの名勝負として記憶しているのが1994年アメリカ大会、ラウンド16でのナイジェリア戦。グループリーグでのイタリアは初戦、アイルランドに負けてスタートしてヘロヘロになりながら何とか突破しました。フランコ・バレージがケガで離脱して、チーム状況として良くはない。このナイジェリア戦も相手に先制されてジャンフランコ・ゾラも退場になってしまいます。この絶体絶命の危機を救ったのがバッジョでした。
残り時間も少なくなって、バッジョも疲れていました。それでもゴール前でパスを受けて、ここしかないっていうコースにコロコロと転がすシュートを放って決めてしまう。延長に持ち込んで今度はPKを奪って決勝点。このように彼が牽引してチームを決勝まで導くわけです。しかしブラジルとの決勝戦はPK戦になって5人目のバッジョが外してゲームセットになるというストーリーが待っていました。こういったバックグラウンドを含めて感情移入できる選手。今でもバッジョは大好きですね。