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「ショックで1週間動けなかった」女子バスケ、あの歴史的銀メダルの裏で…東京五輪メンバーからギリギリで落選した安間志織、1年後の告白
posted2022/08/02 17:00
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph by
Yuki Suenaga
「ひとりだけ、なんだか“アメリカ”がいるな」
身長161cmの日本人ポイントガードが、ドイツの女子バスケットボールリーグでチームを優勝させ、MVPを獲得したことを、どれくらいの人が知っているだろうか?
安間志織がその人である。
彼女は、どんな旅路を経て、ドイツで成功を収めたのだろうか。
安間は1994年、沖縄生まれ。北谷中時代に全中で優勝すると、その後は福岡にある名門・中村学園女子、そして拓殖大学でプレーした。私は当時、関東の大学女子バスケをよく見に行っていたので、安間のプレーを記憶している。
「ひとりだけ、なんだか“アメリカ”がいるな」
絶妙なハンドリング、そしてシュートが女子では極めて珍しいワンハンドだったからだ。正直、カッコ良かった。
「カッコよかったですか? ありがとうございます(笑)。アメリカのバスケって、ドリブルひとつ取ってみても、独特のリズムがあるんですよね。それが染み込んだのかな。ワンハンドシュートはミニバス時代、週に2、3回は嘉手納基地の中でプレーしてたんです。アメリカの人はワンハンドじゃないですか。それを見てカッコいいなって思って、それからじゃないですかね。でも、中学時代もジャンプシュートはぜんぜん得意じゃなくて、全中優勝もディフェンスからのカット、ファストブレイクが信条でした」
携帯もコンビニも禁止だった高校時代
全中優勝がきっかけとなって、中村学園女子に進んだわけだが、そこで待っていたのは、安間の知らないバスケットボールだった。
「北谷中時代は、ファストブレイクで攻め立てるイケイケのバスケでしたが、中村では本当にバスケの基本、細かいところまでを教えてもらいました。オフェンスでいえば“ハイロー”の角度や、パスの出し方にも細かいルールがあります。足さばきにしても、十何種類もあり、これはプロになった今でも自分の財産になっています」
小兵ではあるが、安間のディフェンス力はピカイチだった。1年生から早速レギュラーを獲得し、全国大会で活躍するようになる。
安間が今でも記憶しているものに、ルースボールを確保するための2人1組の練習がある。