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「ショックで1週間動けなかった」女子バスケ、あの歴史的銀メダルの裏で…東京五輪メンバーからギリギリで落選した安間志織、1年後の告白 

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生島淳

生島淳Jun Ikushima

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photograph byYuki Suenaga

posted2022/08/02 17:00

「ショックで1週間動けなかった」女子バスケ、あの歴史的銀メダルの裏で…東京五輪メンバーからギリギリで落選した安間志織、1年後の告白<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

今年9月に行われるW杯へ向けたバスケ女子日本代表候補にも選ばれている安間志織

「JDから『自分に完璧を求めすぎてるんじゃないかな?』と言われたんです。常に100パーセントを求めていたら、出来ないことの方が多くなり、気持ちが落ちこんでしまう。仮に今日は100パーセント出来たとしても、明日30パーセントだったら、つらくなるよねって。それよりも常に70から80パーセントの高いパフォーマンスを発揮した方が、チームのためにもなると助言をもらったんです」

ジャンプシュートが苦手だった

 実は完璧を求めすぎたがゆえ、安間はシュートを打ちたくなかった。中学時代からカットからの速攻、レイアップを得意としていたということは、裏を返せばジャンプシュートが苦手だということだった。

 トヨタでも、ショットクロックがギリギリになり、自分がどうしても打たなければならない体勢に追い込まれると、成功確率が下がってしまう。打っては「やっぱりダメだ……」というネガティブな感情に囚われたが、JDと、自らもハワイ大学でのプレー経験がある綾部の言葉で救われた。

「それからですね。自分が出来ることにフォーカスしようと思ったのは」

 発想が変わりつつあったタイミングで、やってきたのがコロナ禍だった。安間は、この災難をプラスに変えることに成功する。

「右足首に俗にいう“ねずみ”があったんですが、それを除去して状態が改善しました。フィジカルが改善してきたのと、その頃にヘッドコーチから、『フリーなのに、どうしてシュートを打たないんだ?』と言われて、ハッとしました」

 それまでは自分がフリーになったとしても、次にパスを出す選手ばかりを探していた。

「コーチに『打っていいんですか?』って聞いたら、『当たり前です。自分が空いたらシュートは打つものです』と言われて(笑)。それから、とにかく時間があれば、プルアップジャンパー、3ポイントの練習をやり続けました。でも、シュート練習って、ひとりじゃ出来ないんですよね。午前中、休みの日にも練習に付き合ってくれた坂上(祐加)マネージャーには感謝してもしきれません」

 努力の甲斐はあった。

 2018-2019年、2019-2020年シーズンの3ポイントシュートの成功率は30パーセントほどだったが、2020-2021年は39.5パーセントに跳ね上がり、1試合平均の得点もキャリアではじめて10点を超えた。

「ジャンプシュートの確率が上がってくると、相手がディフェンスに出てくるところを抜いたり、パスが生きることも実感しました。引き出しが増えて、楽しくなってきちゃって(笑)」

「私にも東京五輪のチャンスがあるんだ」

 20代半ばを迎えて、安間は「成長期」に入っていた。もともとディフェンスには定評があったが、攻撃的なPGとしての評価が高まってきただけでなく、フィジカルの面でも充実期を迎えようとしていた。

【次ページ】 「私にも東京五輪のチャンスがあるんだ」

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