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「医学部では史上初」名門筑波大サッカー部“6軍”から這い上がった優秀すぎる大学生…三笘の恩師「信頼しているから起用した」
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2022/07/14 11:01
筑波大MF川勝翔太(3年)。医学群に在籍する選手としてサッカー部史上初となるトップチームの公式戦出場を果たした
岐阜県岐阜市出身で、サッカーは小学校から始めた。中学時代には若鮎長良FCで県大会2位に輝き、県トレセンに選ばれるほどの才能を発揮。一方で学業も優秀で、学力テストは常に学年でトップクラスだったという。
「僕はある意味、不器用で、どちらか1つに絞って打ち込むタイプではありません。サッカーも勉強も大好きだったので、両方ともハイレベルなところで、全力で打ち込みたいと思っていました」
文武両道を地で行く川勝は、岐阜県で最も偏差値が高いといわれる岐阜高校(偏差値71~73)に入学、サッカーではFC岐阜U-18に入団した。
高校では授業にしっかりと耳を傾け、休み時間はずっと自主勉強。学校を終えるとFC岐阜の練習に向かい、自主トレまでしっかりこなした。帰宅時間はだいたい22時過ぎ。食事や風呂などを1時間程度で済ませ、再び23時から24時まで勉強に打ち込む毎日だった。
「サッカーも勉強もあまりダラダラと長い時間を使うことはしません。通常の授業と練習に全集中力を向けて、自主的な部分は両方において『今日はこれだけは必ずやる』というルーティーンを決めて、それを必ず実行するスタイルでした。たとえば勉強では英単語をこれだけ覚えるとか、この参考書は1日数ページはやる、とか。サッカーでは筋トレをこれだけやる、このパス練習を何分間やる、何分間走る、とか。決めたらそれ以上のことをやることはありませんでした」
効率よく、全力で取り組む。それが川勝の美学だった。医学部を目指すきっかけも彼らしい非常に効率的な考えからきたものだった。
「何かに特化して勉強すると、その道以外の選択肢はなくなってしまうし、目標もなく中途半端に勉強してもレベルは上がらない。そう考えた時に、大学のあらゆる学部を調べてみたら、どの大学も医学部が一番レベルが高いということが分かりました。医学部を目指して勉強すれば、最終的にはどの学部でも通用するのかなと。大学選びの選択肢も広がると思ったので『医学部を目指す勉強』をすることにしました」
高3フルシーズン戦い、筑波大に現役合格
高2の頃、サッカーでも国体の岐阜県選抜に選出されるほど実力を伸ばしていた川勝は、同じ岐阜県出身で筑波大医学群に進んだGK加藤零太と出会う。サッカーとの両立を実現している先輩の話を聞き、本気でその道を志すことにした。
「もともとスポーツに関わる仕事をしたかったこともあったのですが、筑波大を目指すと決めた時、サッカーと医学が結びつくのは整形外科しかないと思いました」
明確な目標が固まったことでスイッチが入った。
サッカーではボランチ、FWとしてレギュラーを勝ち取り、プリンスリーグ東海にも出場。高3時は岐阜高校の同級生が受験に専念する中で、川勝はFC岐阜U-18の主軸として県リーグ1部、10月のJユースカップ(1回戦でカマタマーレ讃岐にPK負け)までフルシーズンを戦い抜いた。それでいて、学校のテストでは常に学年で上位をキープしていたというのだから末恐ろしい。
そこから3カ月間受験に専念し、前期試験で筑波大医学群に見事、現役合格を果たした。