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同級生からは「アイツが飛び込まなきゃ、勝ってた」秋山翔吾18歳が苦悩し続けた高校最後の1年「何で俺が主将をやっているんだろう…」
posted2022/07/17 11:04
text by
高川武将Takeyuki Takagawa
photograph by
Nanae Suzuki
西武時代にインタビューしたSports Graphic Number905号(2016年6月30日発売)『秋山翔吾「横浜に阻まれた秋、春、そして夏」』を特別に無料公開します(肩書はすべて当時、本記事は全2回のうち後編)。前編#1で登場した秋山翔吾の同級生、河野賢治郎の述懐から本編は始まる。
片手で外野フェンスまで…
「アイツは野球が上手くて一人で努力しているけど、チームのことを思ってるの?」
だが、直接本人には言えない。プレーも練習姿勢も、圧倒的に秋山のレベルが高く、それは皆が認めているからだ。
「いつも最後まで残って一人で練習してました。完ぺき主義で徹底して突き詰めないと気が済まない。アイツが打てなかった時期は記憶にないんですけど、ヒットを打っても納得できないような高いレベルで悩んでいたのかも知れません。本当にストイックでした」
河野がいまだに鮮明に覚えている光景がある。春の横浜戦で左手首を骨折した秋山は、すぐに右手一本で打撃マシンを相手に打ち込みを始めた。打球は前に飛ばない。片手では無理だろうと思っていたが、日に日にいい当たりを飛ばすようになり、気がつくと外野フェンスにぶち当てていた。
「やっばり、こいつは違うなと。高校生では実力差で全てが決まるところがあります。秋山も野球に関してはプライドが高く、お互いに腹の中で思ってることを言えないから、関係性を築くのが難しかった」
野球も遊びもしたかったという普通の高校球児だった河野は、高校では控えで終わったが、地元横浜を離れて進学した函館大学では全国大会でも活躍した。
アイツが飛び込まなきゃ、勝ってたよな
「今になれば、あの頃もっとやっておけばよかったなという思いは皆、持ってるんです。僕も大学で4年間野球中心の生活をして、初めて秋山の凄さがわかった。常に高い意識をもって、自分を追い込んで、自分の思うように突き詰めてやっていた。彼の取り組みは間違いじゃなかった」