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「負けても、泣く必要がなかった」強豪・横浜高校に3戦3敗、2度のケガ…秋山翔吾がそれでも最後の夏に涙が出なかった理由
posted2022/07/17 11:03
text by
高川武将Takeyuki Takagawa
photograph by
Nanae Suzuki
西武時代の2016年にインタビューしたSports Graphic Number905号(2016年6月30日発売)『秋山翔吾「横浜に阻まれた秋、春、そして夏」』を特別に無料公開します(肩書などはすべて当時)。全2回の前編 後編は#2へ
ふわっと力なく上がった打球が三塁手のグラブに収まったとき、ネクストバッターズサークルにいた秋山翔吾の最後の夏は終わった。2006年7月26日、横浜スタジアム。神奈川大会準々決勝で、3番中堅で主将の秋山が率いるノーシードの横浜創学館は、この年のセンバツを制した横浜に2-12の7回コールド負けを喫したのだ。スタンドの応援団に挨拶を終えた選手たちは、堪え切れずに嗚咽し始めた。肩を抱き合い号泣している選手もいる中で、秋山は一人、泣かなかった。
とにかく横浜が強すぎました
センバツの決勝戦で長崎の清峰に21-0と史上最多得点をマークした横浜の強力打線に圧倒された。2回表、エース藤谷康玄が投じた低めのボールになる変化球を8番打者に右手一本で右翼スタンドまで運ばれ、創学館ベンチは度肝を抜かれる。
そこから3イニング連続の4本塁打、4回表で7-0と一方的な展開になる。その裏に創学館は秋山のヒットから1点を返すが、6回には高濱卓也(現・ロッテ)の2本目となるランニングホームランなどで4点を奪われた。
140kmの直球と落ちる変化球を武器に2年生からエースを張っていた藤谷が、大会タイ記録の1試合5発を浴びた。「藤谷も調子は悪くなかったんですが、ベンチに帰って来て言うんです。監督、もう投げる球がありませんって。とにかく横浜が強すぎました」とは森田誠一監督の弁である。
プロのスカウトが秋山を見に来ていた
3度目の正直を目指したが返り討ちにあった。秋山が最上級生になってからここまで公式戦で2度、創学館は横浜の前に屈していた。2年生の秋は3回戦で2-10の完敗。だが、同じく3回戦で当たった翌年の春は勝てるチャンスだった。
7回表まで6-3とリードしながら、その裏に一挙5点を奪われ逆転負けする。結果的にその布石を作ってしまったのが秋山だった。4回の守備で浅いライナーに頭から飛び込んだとき、グラブが芝に引っかかり左手首を骨折してしまう。病院へ運ばれた秋山の代わりに中堅に入った選手が、何でもない飛球を落球したところから逆転を許すのだ。「秋山がいてくれたら」と関係者の誰もが思った試合だった。