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「負けても、泣く必要がなかった」強豪・横浜高校に3戦3敗、2度のケガ…秋山翔吾がそれでも最後の夏に涙が出なかった理由
text by
高川武将Takeyuki Takagawa
photograph byNanae Suzuki
posted2022/07/17 11:03
インタビュー当時28歳の秋山。プロに入るという高い意識を持ち続けた求道者にとっての高校時代とは…?
「個人的には、プロになるという目標を立ててやっていました。個の力をあげるために、限られた環境の中でいかに自分で時間を作って、プラスになる材料を見つけていくか。僕は不器用で人の何倍も練習しないと身につかないので、とにかく練習量をこなすしかない。そういう練習を自分に課して、積み重ねてきた3年間に後悔はなかった。だから、最後に負けても、泣けなかったというより、泣く必要がなかった。ああ、やり切ったな、と……。周りはこのメンバーでやるのは最後なんだという涙もあったと思うんですけど。だからちょっと……」
すると薄い笑みを見せながら言った。
「一人だけ浮いてる感じがありましたよね」
そのドライな物言いが気になった。
同級生の回想
『秋山が浮いてしまうチームではダメだ。皆が同じ温度でやらないと勝てないぞ』
当時、コーチ陣からよくこう言われていたと、同級生の河野賢治郎は回想する。
「でも、周りの選手の多くはなかなかそこに乗っかっていけない。秋山との温度差がありました。かね合いが凄く難しくて、チームとしてのまとまりに欠けてましたね」
新チームで秋山が主将になったのは、選手間の投票によってだった。それは創学館の恒例行事で、1年からレギュラーだった秋山はほぼ満票で選出されたという。ただ、中学時代も同じ金沢シニアで主将秋山の下で副主将だった河野は、あえて秋山には入れなかった。