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「負けても、泣く必要がなかった」強豪・横浜高校に3戦3敗、2度のケガ…秋山翔吾がそれでも最後の夏に涙が出なかった理由 

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高川武将

高川武将Takeyuki Takagawa

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photograph byNanae Suzuki

posted2022/07/17 11:03

「負けても、泣く必要がなかった」強豪・横浜高校に3戦3敗、2度のケガ…秋山翔吾がそれでも最後の夏に涙が出なかった理由<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

インタビュー当時28歳の秋山。プロに入るという高い意識を持ち続けた求道者にとっての高校時代とは…?

 しかもこのとき、プロのスカウトが秋山を視察に訪れていた。だが、自らは大ケガを負い、チームは3回戦敗退。そのケガが癒えて臨んだ最後の夏も、ある球団は編成部長を連れてくるなどプロ数球団が注目していた。しかし、初戦で三塁ベースを回ろうとして止まったとき、足首をねん挫してしまう。テーピングでぐるぐる巻きにした足を引きずってのプレーでは、自慢の足の速さをアピールすることが出来なかった。

「アイツは何で運のないヤツなんだ」

監督やコーチが「もうやめろ」というまで

 森田監督はそう痛感したという。

「プロに行きたくてしょうがなかったのに、見てもらうぞというときにケガをした。秋山がケガしたのはその2回だけです。プロにアピールする意味でも、絶対に甲子園には行きたかったと思いますよ。そもそも抽選会で横浜と当たるヤマを3回引いたのも、キャプテンの秋山なんです。だから、当時は本当に運がないなと。まさか9年後に216安打の日本記録を作るとは思ってもいませんからね(笑)」

 誰もが認める真面目な努力家である。創学館は両翼93mの立派なグラウンドを持っているが、ナイター設備も室内練習場も、満足なウェイトルームもない。練習時間は授業を終えた午後4時から7時半まで。甲子園常連校と比べれば、環境や設備で劣っていることは否めない。その中で、秋山は人一倍練習していた。朝練は当たり前で、陽が落ちて他の選手が帰ってからも、監督やコーチが「もうやめろ」というまで黙々とバットを振った。

 甲子園に出られず、満足な状態でプレーもできず、プロになる夢が一瞬遠のいた最後の夏は、悔しくて仕方なかったに違いない。だが、当の秋山は、悔しさのかけらも見せず、淡々とした口調でこう振り返るのだ。

一人だけ浮いてる感じがありました

「甲子園でプレーする自分をイメージできないまま終わっちゃいましたね。チームとしては、甲子園を目標にやってはいましたけど、現実的ではなかったと思うんです。準々決勝から3つシード校相手に勝てる力はなかった。横浜には最初に圧倒されたというのもあるんですけど、くじを引いたとき、ああ、やっちゃったな、と。そう思ってる時点で名前に負けてる感じがありましたね。どっちにしても、運がないです。くじ運も、ケガも」

 朗らかに笑うとこう続けた。

【次ページ】 同級生の回想

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