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「ひと夏で75億円荒稼ぎ」「愛すべき毒舌お馬鹿デブ野郎」代理人ライオラ54年の太く短い人生 若造イブラ様を叱っても信頼された“極意”
posted2022/07/02 11:00
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph by
VI-Images/Getty Images
夏はTシャツ、冬はパーカーか徳利セーター。
普段着みたいな出で立ちに丸眼鏡がトレードマークだった名物代理人ミノ・ライオラがこの世を去って、2カ月が過ぎた。移籍シーズンを迎える夏になると彼の名前を聞かない日はなかった中で――54歳の働き盛りに肺の病で逝ってしまった。
つねにサッカー界に波風を立てる問題児だった
ライオラは紛れもなく、世界のトップエージェントの1人だった。
FWハーランド(ドルトムント→マンチェスター・シティ)やDFデリフト(ユベントス)を始めとする顧客選手たちの市場総評価額は、時価8億ユーロ(約1146億円)に上るといわれる。
コロナ禍前の2019年には、移籍コミッション(手数料)だけで7000万ドル(※当時レートで約75億6000万円)を稼いだ。同年の米経済誌『フォーブス』が定めた「世界のスポーツ代理人50傑」では全体5位にランクインされ、ジョナサン・バーネット(英国)やジョルジュ・メンデス(ポルトガル)と並ぶサッカー界3大代理人の1人として名を馳せた。
ただし、直言と毒舌を好み、権威に楯突くことを恐れなかったライオラは、つねにサッカー界に波風を立てる問題児だった。
彼に言わせれば、代理人の権限を制限しようとするFIFAやUEFAは「こぞって悪事を隠そうとする反社組織」。15年までFIFA会長を務めたゼップ・ブラッターは「ボケた独裁者」。さすがに名誉毀損で訴えられて敗訴したが、ただでは起き上がらない。ライオラは4000ユーロ(57万円超)の罰金をポンと払った上で「表現の自由はどこにあるんだ?」とお上を皮肉ることを忘れなかった。
人懐こそうな外見とは裏腹に、格好も交渉も本音むき出し。世界中のビッグクラブや権力組織に対して、歯向かい続けた。“喧嘩の仕方”が非常に上手かった。
ピッツァ職人としての才能は全然なかった。だけど
ライオラの原点は、一軒のピッツェリアだ。
南イタリア、カンパーニア州の田舎に生まれた彼は、両親に連れられオランダへ移住した。一家はアムステルダム郊外のハーレムでピッツェリアを始め、ミノ少年はウェイターをしながら金を稼ぐイロハを学んだ。
ピッツァ職人としての才能は全然なかった、と父親は苦笑する。
「その代わり、見知らぬ客と客の間を取り持つのがとても上手かった」