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「ひと夏で75億円荒稼ぎ」「愛すべき毒舌お馬鹿デブ野郎」代理人ライオラ54年の太く短い人生 若造イブラ様を叱っても信頼された“極意”
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph byVI-Images/Getty Images
posted2022/07/02 11:00
ロシアW杯でのイブラヒモビッチとライオラ。彼が世界屈指の代理人になれた理由とは?
地元FCハーレムでプレーヤーとしての道は早々に諦め、選手たちの交渉を手伝うようになった。大学で法律を学び、イタリア語の他に英・独・西・仏・葡・蘭の合計7カ国語を習得しながら、20歳で最初の仲介会社を興した。
ベルカンプ、ネドベドらが初期の顧客だった
92年、24歳のときにFWブライアン・ロイをアヤックスからフォッジャに移籍させたのを皮切りに、セリエAとのコネができた。翌93年にFWデニス・ベルカンプをインテルへ、96年にはMFパベル・ネドベドをS・プラハからラツィオへ。ライオラは代理人の世界にのめり込んだ。
契約交渉の場では、のらりくらりと不可解なローカルルールや不文律を押しつけられ、あちこちの国で旧態依然とした経営陣がのさばっていた。そんなスノッブな世界に“しゃらくせえや!”と、殴り込みをかけた初めての代理人がライオラだった。
たとえスーツが吊るしだろうが、彼のビジネスマンとしてのバイタリティは本物だった。多くのトッププレーヤーが信頼を寄せるようになり、夏と冬の移籍市場が開くたびにライオラは数十億円規模の大型取引を次々にまとめ上げていった。
“ポグバを1億ユーロ超で再買い取り”にファギーがブチギレ
もちろん、スター選手に短期間で移籍を繰り返させては多額の移籍金と手数料をせしめた彼の強引な手法に、ビッグクラブがいい顔をしたはずがない。
10年前、マンチェスター・UにいたMFポール・ポグバをタダ同然でユベントスへ連れ去り、4年後の2016年に当時の移籍金史上最高額にあたる1億500万ユーロで再び買い取らせた取引が一例だ。
特別な契約により、そのうち2700万ユーロが代理人の取り分だった。アレックス・ファーガソンは「ライオラが嫌いだ。最初に会った時から胡散臭いやつだと思っている。彼と私は水と油だ」とまで罵った。
17年から18年春にかけ、新天地挑戦の意思を示したGKジャンルイジ・ドンナルンマ(現パリSG)の契約更改を巡る衝突では、ライオラは当時の“チャイニーズ・ミラン”経営陣と全面対決に臨んだ。
若き守護神と代理人ライオラが契約更新を拒む姿勢を見せると、長期更改させた上で近い将来の高値放出を目論んでいた当時のマルコ・ファッソーネCEOとマッシミリアーノ・ミラベッリSDは激怒。ドンナルンマを翻意させるべく、父親アルフォンソを丸め込んで懐柔を図った。